「羨む・浅ましい・断腸の思い」心の狭さを表現する日本語の語源

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妙に運がいい人、人に人気のある人、リア充な人を見ると羨ましくなったりすることってありませんか?
そんなときに自分の浅ましさが露骨に現れたりして、自己嫌悪に陥ることがあります。
そんな負の感情を表す言葉の語源を探ります。

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人を「羨む」のは心の病気なの?

日常、なにかというと「まあ、羨ましい!」と、ログセのようにいう人がいるものです。
出世、広い家、有名校合格、海外旅行から、子供の気だて、肥らない体質…など、普通に生活していれば人を羨む材料と機会には事欠かないものです。
そんなリア充な人の様子をみて、自分もそのようにありたいと思うとき「羨ましい」という気持ちになります。

「羨ましいです」と社交辞令としていう分にはいいが、ともすると、嫉ましく思いがちです。
「羨む」と嫉むは同じ意味で、『推古紀』でも「嫉妬(うらやみねたむこと)有ることなかれ」と戒めています。
イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンは「ねたむ者に祝日はない」と洞察した。
「うらやむ」の語源だが、古代、心は「うら」といった。
「やむ」は、「病む」です。心病む状態、故に、「うらやむ」です。
だから、うらやむ状態というのは実は、「心の病気」という意味であると、心に留めおきたい言葉です。

「浅ましい」という言葉は、平安時代の「びっくりした」という意味がはじまり

「その浅ましい心根が許せない」「浅ましい奴だ」「犬畜生の浅ましさ」など、悪いことに関して使っているが、もともとは善いときにも悪いときにも使った。
平安時代の古語「浅む」が語源で、意外なことに驚くという意味である。

『源氏物語』に「あさましきまで目を驚かし給ふ」という表現があります。
これは、驚きあきれるという意味です。

現在の用法は、意外な悪いことに驚く気持ちをあらわす言葉として、情けない、嘆かわしい、見苦しい、いやしい、さもしい、卑劣であるなどのニュアンスが強くなっています。
「浅まし」は「浅い心」の意味を含むが、「浅浅し」となると、奥底が見えるとか、浅はかであるということになります。
人間、こうまでみられては立つ瀬がない。

「断腸の思い」は悲哀きわまる民話から

「倒産のやむなきに至ったことは断腸の思いであります」
「それを聞いて断腸の思いがした」と、どうしようもない窮地に立ったときに決断する心境を表現するときに使うことがよくある言葉が「断腸の思い」。

胸が裂ける、という表現と同じで、腸がちぎれるほど悲しいこと。
「断腸」は、中国の伝説から由来しています。
猿の子を捕らえたところ、母猿がどこまでも追ってきたが、ついに息絶えてしまった。
腹をさいてみると、腸がずたずたに切れていたという。
日本にも仔牛を追いかけて息絶えた母牛の民話があります。
やはり、腹のなかは腸がずたずたに切れていたという。

これらの故事から、悲哀きわまったことを「断腸」「腸を断つ」「断腸の思い」というようになりました。

ところで、「断腸」は現代の医学の目では、どうみたてるだろうか。
腸には、十二指腸・空腸・回腸からなる小腸と、盲腸・結腸・直腸と続く大腸があります。
そして「断腸」は、悲しみという極度なストレスが原因です。
ストレスを最も受けやすい腸ということになると、胃に続く十二指腸です。
悲しさ、悔しさを強く感じると、胃酸が濃くなり、十二指腸の壁を「消化」してしまう。
つまり、十二指腸かいようになります。
「断腸」は、十二指腸からはじまったかいようが、腸全体に広がり極まった状態とみることもできるのではないか。

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