朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ…。
昭和の敗戦まで、国民道徳の基本として子どもたちが暗唱を求められた「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」の冒頭です。
戦後になっても、かつてはこれの全文をそらんじてみせる人が、世間にはたくさんいました。
「ちんおもうに~」と唱えだして「わがこうそこうそう、くにをはじむることこうえんに、とくをたつることしんこうなり……」。
まさかのときは正義と勇気を公にささげて、永遠の皇国を助けなさい
教育勅語は1890年、明治天皇の所感のかたちをとって、山県有朋内閣のときに発布。
忠君愛国と家族国家観を基礎とする戦前の修身教育を支えたのは勅語にほかならない。
とりわけ「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」のくだりは象徴的である。
現代語に直訳すれば「まさかのときは正義と勇気を公にささげて永遠の皇国を助けなさい」だ。
国のためには一身を投げ出せ、という解釈が昭和戦前期は一般的だった。
もっとも勅語は、まず「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」などと説いたから、そこを再評価する声が戦後もよく聞かれた。
それもこれも昭和の風景。
戦前を知る人がめっきり減り、こうした漢文訓読調が縁遠くなった昨今である。
教育勅語などいよいよ忘れ去られるのかと思っていたら、最近、ちょっとした話題が持ち上がった。
国家社会に何かあったときは、自己中心的でなく奉仕精神を発揮すべき
長らく所在不明になっていた勅語の原本が確認されたのを受けて、下村博文文部科学相は記者会見などで「軍国主義教育推進の象徴のように使われたのは問題」としつつも、こう語ったのである。
「中身は至極まっとうなことが書かれている。いまも十分通用する」
久々の「再評価論」なので、下村氏にあらためて真意を尋ねてみると説明してくれた。
「勅語に書かれていることは時代を超えた共通の徳目です。『一旦緩急アレハ』の部分だって、国家社会に何かあったときは自己中心的でなく奉仕精神を発揮すべきだというように解釈できます。だからといって、現代版勅語をつくろうなんて考えていませんが」
余計な心配は無用ということだろうが、そう言われてもなお、気にかかることはある。
勅語の中身にいかに普遍性があるにせよ、これはやはり、明治国家が国民教化の強い意志を持ってつくったものだ。
その全体像を横に置き、文言だけを意訳も交えて評価することには違和感を禁じ得ないのである。
国民に対する道徳心の押し付け
子どもたちが脳裏にこびりつくまで暗唱させられ、奉読の際は校長もたいへんな緊張を強いられた「過去」が教育勅語にはある。
起草者の井上毅は国民に対する道徳心の押し付けに慎重で、だから天皇の所感のかたちにとどめたという。なのに勅語は独り歩きしていった。
それにしても、こういうテーマに突き当たると、国家と道徳の関係はどうあるべきかを思念せざるを得ない。
折も折、下村文科相は小学校の道徳を「特別の教科」にすることを中央教育審議会に諮っている。
戦後の道徳教育は、価値観の強制にならないよう様々な仕掛けを施してきた
教科書や成績評価を伴う「教科」の枠にはめないのもそのひとつだが、そんなことでは徳育がおろそかになる、というのが教科化推進論者の抱く危機感だろう。
下村氏は言う。
「せっかく文科省がつくった道徳の副読本が、教室に山積みになったままの学校があるんです」
「学校現場には道徳に対する無意識の拒否反応がある。『特別の教科』で討論型の授業などを進めて、そういう状況を変えていきたい」
世の中のルールとマナーの乱れを考えれば憂慮はわからなくもないが、教科化がそんなに徳育充実に有効かどうか疑問は残ります。
教科になると先生も子どももそんなに変わるだろうか。
教科化によって道徳教育が型にはまり、子どもたちが「評価」を気にするようになるとすれば本末転倒ではないか。
教育勅語の暗唱それ自体が評価された時代に生き、長じてもなお朗々と唱えることができた人々のすがたが、遠く近く、胸に浮かぶのである。
※2014/05/25 日本経済新聞 朝刊より