七夕と短冊の由来と素麺の関係

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夏になると各地の神社で七夕の御祭りが行われます。
身近なところでは、家に笹を買ってきて短冊に願い事を書いて飾るという風習があります。
何事も願いを書くという行為には夢があり、誰の心もワクワクと希望を満たしてくれるので、七夕の行事は廃れることがありません。
また織り姫と彦星の伝説もあることから、ロマンチックな星空を彩る日としても、幅広い層に愛されています。

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七夕は学問、技芸上達を願う行事

七夕は、7月7日に短冊に願いを書いて笹に吊るす行事です。少し前までは、家々で笹を立てていたいましたが、本物の笹を買うと言うより、クリスマスツリーのように造花の笹で代用することもあるようです。また現在では、ショッピングセンターや駅に大きな七夕の笹が立てられるようになったり、地域をあげての活性化イベントとして開催されるようになっています。こういったところでは、誰でもそのそばの短冊に願いごとを記して笹に吊るので、結構賑わっています。

昔はこの七夕で書いた短冊をつけた笹を、川や海に流すと願いごとがかなうといわれていました。
もともとこの行事は、江戸時代の寺子屋でさかんになったものです。

寺子屋の師匠は、七夕の日に教え子に字を書かせて、それを笹に吊るさせていました。これによって手習い(習字)がうまくなるといわれ、あくまでも楽しみながら字を上手く書くという教育の一環だったようです。

その後、さまざまな習いごとの師匠も弟子たちに、七夕の日に技芸上達を願う短冊を書かせるようになりました。やがてこの行事が明治時代になると各地の小学校に広まり、そこから七夕の行事が家庭に定着するようになっていきました。

七と夕と書いて、なぜ「たなばた」と読むのか?

七夕の行事は、日本だけのものではありません。
元来は中国の「七夕節」という行事が奈良時代に伝わって、昔から日本にあった棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって、日本では「たなばた」と読むようになりました。

また、古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や「棚幡」と書いていました。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、7日の夕方に精霊棚とその幡を安置することから、7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいう説があります。

七夕に飾る短冊の由来

今では神事という印象も薄れてしまった感のある七夕ですが、長方形の長細い短冊の形は、神社のお札に由来します。
色も「青・赤・黄・白・黒」の五つとされていました。

色に関して言うと「五色(ごしき)」とは、中国の陰陽道から生まれた自然を表す「五行説」に因んだもの。

青が緑の「木行」、赤は炎の「火行」、黄は大地の「土行」、白は土に埋まっている金属の材料となる鉱物の「金行」、黒は命を育む水の「水行」を表しています。また、この五つの色は人が持っているべき五徳(ごとく)という教えも表しているとも言われています。

そして短冊は、もともと五色の糸を飾っていました。
やがてこの飾りが「絹の布」になり、次は「詩」や「歌」に変わり、演奏や書画も加わる様になりました。しかし、「七夕」の風習が宮中から民衆に広がる頃には、そんな高価な物などは用意できないので、紙の短冊が使われるようになりました。

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七夕と「乞巧奠(きっこうでん)」

乞巧奠(きっこうでん)というのは、中国から星伝説と一緒に伝わった習慣で、初めて日本で行われたのは奈良時代の事です。

「乞巧(きっこう)」は巧みを乞う、「奠(でん)」には祀る(神をあがめる)という意味があります。

そんな意味から、奈良時代の孝謙天皇という女性の天皇が技巧や芸能の上達を願って、「乞巧奠」を行ったと言われています。

こうしてこの習慣は、最初は宮中に広まり、糸や針の仕事を司るとされる「織女星(織姫星)」が輝く「七夕」の夜に、宮中の女性達が御供え物をして、機織やお裁縫が上手くなる事を祈る女性の祭りとなりました。

その後、「星伝説」の主役になった二人に因んで、男女の良縁を祈る意味も加わりました。

やがて「乞巧奠」が「祭り」に変化して定着すると、平安時代には宴や相撲大会が開かれたり、室町時代になると「織女祭り」という名で宮中行事の一つになったのです。

その後、宮廷で行われていた多くの行事が武家社会に受け継がれていきましたが、武士たちは7月7日の星まつりをあまり重んじることはありませんでした。そのために七夕が、民間から広まることになったのです。

七夕の行事食「素麺」と鬼の腸

様々な神事には、それに由来する食材を調理して食べる風習があります。
七夕で食べるのは「素麺(そうめん)」です。

その起源は古く、元は平安時代に七夕の節句で小麦粉と米の粉を練って、縄の形にした菓子を食べる風習から来ています。

その菓子は和名を「むぎなわ」と言い、中国から伝来した食べ物です。
中国では、これを「索餅(さくべい)」と呼びます。

なぜ、この菓子を七夕に食べるのか、菓子がどうして「そうめん」になったのかというと、ある中国の故事から生まれた風習から来ています。

その昔、古代中国の帝の子供が七月七日に亡くなり、その後に一本足の鬼となって熱病を流行らせ、これに困った人々は子供の好物だった「索餅」を供えて祟りを鎮めました。それから、この故事に因んで中国では七夕に「索餅」を食べる風習が生まれ、平安時代に日本へ伝わりました。

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伝来した当初は、日本でも中国と同じ材料で作った「むぎなわ」を七月七日に食べる習慣がありました。「むぎなわ・索餅」は「索麺(さくめん)」とも呼ばれ、それが時代を経て「そうめん」に変化したのです。

また、日本の「そうめん」は米の粉は入っていませんが、小麦粉と食塩水で作られます。そして、今でも七月七日に食べる「そうめん」を、鬼の故事に因んで「鬼の腸(はらわた)」と呼ぶことがあります。

七夕にいただきたい!
御利益のありそうな「五色の素麺」の紹介はこちら→

伝統的七夕を楽しむ現代

国立天文台では2001年から、「新暦7月7日は、たいてい梅雨のさなかでなかなか星も見られない」という理由で、旧暦7月7日を「伝統的七夕」と呼び、その日の新暦での日付を広く報じています。

この日には、身の回りの明かりを消して、星空を見ようと呼びかけています。
「伝統的七夕」は、8月で晴天が多く、上弦の月が美しく輝き、月が沈んだ夜半には天の川がひろがる夜空を楽しめます。

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