琳派誕生400年記念「琳派、京を彩る」展を最大限楽しむための方法

琳派、京を彩る

京都国立博物館で秋に琳派誕生400年記念「琳派、京を彩る」展が開催されます。
普段はレプリカでしか見ることができない俵屋宗達や尾形光琳の風神雷神図屏風をはじめとする、国宝・重文クラスの美術品が一同に集まります。
それら実物を1か所で見比べることができるなんて、これまでほとんど無かっただけに、見逃すことはできません。
だから観覧前に最低限の知識を仕入れておきましょう。

そもそも琳派とは、江戸時代に現れた装飾的な作風を特色とする、俵屋宗達、尾形光琳・乾山、酒井抱一といった芸術家の一群をゆるやかにつなぐ言葉です。
その源は、京都洛北の鷹峯にあり、書をはじめ様々な芸術に関与した本阿弥光悦へと遡ります。
この「琳派、京を彩る」展は、光悦が徳川家康から鷹峯の地を拝領して400年となることを記念し、琳派誕生の地である京都において初めて開催される本格的な琳派展です。
琳派の名作が一堂に集まり、作品から感じられる都ぶりな美意識、日本的と評される特質を堪能し、琳派の系譜を作品を通して知ることができます。

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琳派?狩野派?初心者にはよくわからない日本絵画の源流の違い

日本の絵画には大きく「大和絵」と「漢画(唐絵)」という二つの流れがあります。『源氏物語絵巻』などのような平安絵巻、あるいはそのような様式で描かれたものが大和絵です。

鎌倉時代に禅が興り、禅僧たちが水墨画を日本に伝えます。日本でも水墨画は流行し、これが漢画と呼ばれました。
狩野派は様式から言えば漢画の代表です。漢画ですから、描く画題も豪壮で格式ばったものが多くて、武家に好まれたようです。

そして大和絵を代表するのは土佐派、住吉派です。王朝絵巻の伝統を引き継いでいますから、人物は引き目鉤鼻で描き、画題も源氏物語、伊勢物語といった平安文学が好まれました。これらを好んだのは俗世から乖離した裕福な公家たちです。

琳派というのは「派」とはいっても狩野派や土佐派とは全く違って、本阿弥光悦が俵屋宗達ら絵師、職人を集めてつくりあげた様式がのちに琳派と呼ばれました。組織でもなく、当主や家元がいるわけでもありません。

本阿弥光悦・俵屋宗達に強烈に影響を受けた尾形光琳、尾形光琳に影響をうけた酒井抱一などを「琳派」と呼びますが、宗達と光琳、光琳と抱一はそれぞれおよそ100年ずつ活動時期がずれているので面識もなく、師弟関係もありません。
琳派の様式は、漢画の技法を基礎に、大和絵の要素もとりこんで、独自の華やかでデザイン感覚に富んだ世界を生み出したもの。

琳派の創始者は本阿弥光悦ですが、光悦は京都の有力な町衆(富裕な町人)でした。
俵屋宗達も扇や団扇に絵付けする工房を営んでいました。

狩野派が職人気質で武家の好みに応じて作品を作り出したのに対し、光悦は芸術家気質で自分の好みで作品づくりをしていました。
言い換えれば狩野派は武家文化ですが、琳派はいわば富裕層の町人文化と言えます。

◇琳派に分類される画家・芸術家
本阿弥光悦(1558年-1637年)、俵屋宗達(江戸初期)、俵屋宗雪(江戸前期)、喜多川相説(江戸前期)、俵屋宗雪(江戸前期)、尾形光琳(1658年-1716年)、尾形乾山(1663年-1743年)、渡辺始興(1683年-1755年)、深江芦舟(1699年-1757年)、中村芳中(生年不詳-1819年)、酒井抱一(1761年-1828年)江戸琳派とも、鈴木其一(1796年-1858年)、池田孤邨(1801年-1866年)、酒井鶯蒲(1808年-1841年)、村越其栄(1808年-1867年)、山本光一(1843年?-1905年?)、神坂雪佳(1866年-1942年)

琳派の中で選抜総選挙をしたら第一位になるのは誰?

作品で見ると第一位は、俵屋宗達です!
その創造性、抽象性、独創性すべてにおいて他の追随を許しません。まさに琳派の中の天才です。
琳派とは、宗達の「風神雷神」が、そもそもの始まりであり、尾形光琳がこの宗達を越えようとする事から始まったのですから。
しかし琳派の名前の元にもなった尾形光琳いなければ、「琳派」は存在しなかったでしょう。

しかし、江戸初期に活躍した光琳は、いわば時代の文化的な先駆者であったため、作品が独創的すぎて難解で、一般的に理解されない事も多かったといいます。だから意外に活躍中も大注目を浴びる事はなく、没後は忘れられた存在でした。

それを江戸中期に酒井抱一が再発見し、「琳派」と名付け、比類なき素晴らしい芸術であると位置付け、埋もれていた光琳作品を探し出し、後身も育てて、「琳派」という存在を作り上げたのです。
だから貢献度で言えば第一位は酒井抱一。「抱一は琳派の育ての親」であり、もし抱一がいなかったら、琳派は現在の形では存在してはいません。

徹底比較!風神雷神図屏風

尾形光琳

尾形光琳の風神雷神図屏風

江戸文化最大の絵師、尾形光琳の代表作である重要文化財『風神雷神図屏風』。
この作品は17世紀の絵師である俵屋宗達の『風神雷神図屏風』を光琳が見たとき、深く感銘を受けて模写した物。

宗達の風神雷神図屏風と比べると風神・雷神の全体が収まるよう若干大きめの寸法で、やや装飾的に描かれているのが大きな特徴です。
光琳は忠実に原図を模していながらも、細部では光琳独自の解釈に基づいたオリジナル性が表れています。

俵屋宗達

俵屋宗達の風神雷神図屏風

最もよくわかる違いは、風神、雷神各々の視線です。
宗達の『風神雷神図屏風』では風神は眼球のほぼ中央に、雷神は(下界を見るように)右斜め下に黒眼が描かれていることに対し、光琳の『風神雷神図屏風』では互いの視線が交わるように、風神は眼球のほぼ真右に、雷神は眼球のほぼ真左に、若干小さく黒眼が描写されています。

さらに宗達の風神、雷神の姿は仏彫の様な(神々の姿に相応しい)殊勝な雰囲気や威厳に満ちているが、光琳の風神、雷神は原図と比べ、それぞれを擬人化させたかの如く、優しく温和な雰囲気が漂っているほか、弱まった陰影や尖形などの、多少様式化された装飾的な表現に光琳の独自性が示されています。

また風神、雷神の乗る黒雲の描写にも明確な違いがみられ、宗達同様たらし込み技法によって描かれる光琳の黒雲は、原図より乱層雲のような重々しい質量感に溢れています。

酒井抱一

酒井抱一の風神雷神図屏風

なお光琳に多大な影響を受けた江戸琳派随一の絵師、酒井抱一が尾形光琳による『風神雷神図屏風』の模作『風神雷神図屏風』を残しているほか、かつては同氏が本作の裏面に『夏秋草図屏風』を描いていたことが知られている(現在は保存上、分離されている)。

以上、琳派誕生400年記念「琳派、京を彩る」展を最大限楽しむための方法でした。

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