宵宮は、祭り本番の前夜祭のことを指します。宵宮は、祭りの前日の夜に行われ、祭りの準備をするための儀式や、神輿や山車を飾るための装飾、神社周辺での祭りのイベントなどが行われます。
私が宵宮をおすすめする理由は、神社の祭りが行われる地域の住民や参拝者をはじめ、遠方の知り合いが帰郷してきたり、みんなで祭りの雰囲気を盛り上げて楽しめるところです。祭りの屋台や露店も多数出店し、地元の料理や飲み物、お土産などが販売されるのも楽しみのひとつです。
また、宵宮では神輿や山車が神社の周りを練り歩く「練り祭り」と呼ばれる行事が行われることもあります。神輿や山車は、それぞれの町内や地区の代表として神社に向かい、地元の人々が担いで練り歩きます。
宵宮は、祭りの中でも特に華やかで、祭り本番に向けての期待感が高まります。地域の人々が一体となって祭りを楽しむ様子は、日本の伝統文化の魅力を感じることができます。
実は宵宮こそが、神の降臨を仰ぐ祭りの中心と考えられています。
近畿地方には宵宮を「おいで」と呼んでいる所があります。
これは宵宮に「神がおいでになる」というのを親しみを込めて呼んだのでしょう。
宵宮という言葉が示すように、そもそも祭りは夕方(宵の時刻)から始まるものでした。ただし、地域や祭りによっては、早い時間から始まる場合や、深夜まで続く場合もあります。祭りのスケジュールや詳細は、地域の観光案内所や祭りの公式ウェブサイトなどで確認することができます。
氏子全員が水垢離をして身を浄め、清い装束を着て、神社に集まり、夕御撰を供えて神の降臨を仰ぎ、夜通し神に奉仕して、朝になったら朝御撰を供えるというこの一連の儀式が宵宮なのです。
なぜ宵宮は夕方からはじまるのか?
宵宮が夕方から始まるのは、古くからの風習で、夕暮れ時から夜の時間帯に神聖な儀式を行うことが一般的だったためです。また、夕方から始まることで、日中の暑さから解放され、夜の涼しさを楽しみながら祭りを過ごすことができます。
また、神社の祭りは、神様が日中に天上界に戻るとされるため、夕方から始まることで、神様がお戻りになる時間に合わせた儀式や祭りが行われるとされています。
加えて、夕方から始まることで、参加する人々が仕事や学校などの日中の活動を終えてから祭りに参加しやすくなるという利便性もあります。
以上のような理由から、日本の祭りにおいて、宵宮は夕方から始まることが一般的になっています。
神と氏子の抜き差しならぬ関係
宵宮では、神に酒食を捧げておもてなしをするだけでなく、氏子も神に捧げたのと同じ酒食をいただきます。飲食物は、その素材も、調理する火も、かまども鍋釜も食器も、すべてが極めて清浄なものを用いることが条件です。
自らの身も清めて、神の意向通りの礼儀作法を守ってはじめて神と一緒に食事できます。
氏子たちは夜通し神の御前でもてなしに専念し、感謝と尊崇の念を捧げます。
このように氏子全員が夜通し神社に篭もることを「いごもり」という。
「いごもり」という言葉には、神社にずっといる「居篭もり」という意味と、「忌篭もり」という意味が込められているそうです。
宵宮は、「およどもり」(お夜篭もり)「よど」(夜通)、「ごや」(御夜)、「よどい」(夜乞い)、「しょうじいり」(精進入り)などとも呼ばれるとおり、夜通し篭もることなのです。
宵宮での氏子の役割
宵宮において、氏子(神社の信徒)の役割は、大きく分けて以下のようなものがあります。
- 祭りの準備や運営に関する役割
氏子は、祭りの準備や運営に積極的に参加します。例えば、神輿の準備や担ぎ手の手配、祭りの装飾や飾り付け、お神酒やお菓子の準備など、様々な仕事を担当します。
- 神事に参加する役割
氏子は、神社の神事に参加します。神事には、神職が中心となって行うものもありますが、氏子も拝殿に集まって、神事に参加します。神職の指導の下、お祓いや祈祷、神楽や舞踊など、さまざまな儀式を行います。
- 祭りに参加する役割
氏子は、祭りに参加して、神輿を担いだり、山車を引いたり、太鼓や笛などで音楽を奏でたりするなど、祭りを盛り上げます。また、祭りの際には、町内や地域の人々と交流する機会となり、地域の絆を深めることもできます。
以上のように、氏子の役割は、祭りの準備や運営、神事への参加、祭りに参加することなど、多岐にわたります。氏子は、神社に対する信仰心や地域の絆を大切にし、積極的に祭りに参加することが求められます。
宵宮はいつから定着したのか?その起源は?
宵宮の起源についてははっきりとしたことはわかっていませんが、古くからの日本の祭り文化に根ざしたものと考えられています。
神社においては、夜になると神様が天上界に戻られるとされ、夕暮れ時から夜の時間帯に神聖な儀式を行うことが一般的でした。また、旧暦を使用していた時代には、祭りの日付が変わるため、祭り本番の前日の夜に神事を行うことが行われるようになりました。
具体的に宵宮がいつから始まったのかについては、文献に残る情報が少なく、はっきりとしたことはわかっていません。しかし、日本における祭り文化は古代から存在しており、古代には既に神事や祭りが行われていたことが、古代文書や神話に記されています。したがって、宵宮も、祭り文化が発展する過程で、徐々に形成されていったものと考えられます。
「宵宮」の語源は?
「宵宮」は、「宵」と「宮」から成り立っている言葉です。「宵」は、「夕暮れ時」や「夜の初め」を意味する言葉であり、「宮」は、「神社」や「神様の住まい」を意味する言葉です。したがって、「宵宮」は、「夕暮れ時から夜の初めに、神社で行われる儀式や祭り」を意味する言葉となります。
また、別の説としては、「宵宮」は、もともとは「餡餅(あんもち)」のことを指していたとされています。餡餅は、古くからお祭りの際に供え物として食べられていた和菓子であり、神様に供える前に食べることがあったとされています。このとき、「餡餅を食べる会」という意味で「宵宮」という言葉が使われるようになったという説があります。ただし、この説は定説ではなく、諸説あるため確かではありません。
宵宮こそが、祭りの本体であった!
祭りというと、昼間くり広げられる賑々しく華やかな様子を想像します。
でもこれは重要な儀式が済んだ後の祝賀会のようなもの。
宵宮の行事は、古くから秘儀とされ、その内部は神職に近い関係者しか見ることができないものがあります。
これは見せたくないのではなく、外部のケガレを遮断するためと言われています。
大嘗祭、新嘗祭、御神楽といった宮中の重要な祭事も、夜に秘儀として行なわれ、夕朝二回の供撰が行なわれます。
民間では、今は徹夜で神事を行なう所は少なくなりました。
宵宮の晩にお参りして家に帰り、朝になってまたお参りに行くようになっています。
昔と現代の宵宮の違い
実施期間の変化
昔は、宵宮は1日だけで行われることが一般的でしたが、現代では、宵宮が開催される期間が延長されることがあります。例えば、夜店や露店が出店して、宵宮が開催される前から賑わいを見せる場合があります。
参加者の変化
昔の宵宮には、神社に参拝に来た氏子や近隣住民が中心的な参加者でしたが、現代の宵宮には、観光客や地域外の人々も多く参加するようになりました。また、若い人たちが祭りに参加することが減ってきている傾向があり、年配の人たちが中心的な役割を担うことが多くなっています。
神事の変化
昔の宵宮では、神事が主体となっていましたが、現代の宵宮では、祭りやパレードなど、エンターテインメント要素が強くなっています。例えば、太鼓や笛、踊りなどの演舞が行われたり、神輿や山車などの装飾が派手になったりすることがあります。
食べ物や飲み物の変化
昔の宵宮では、餡餅やお菓子などが供え物として用意されていましたが、現代の宵宮では、屋台で食べ物や飲み物を販売することが一般的になっています。また、地域の特産品やグルメを紹介する企画も行われることがあります。
以上のように、昔の宵宮と現代の宵宮には、実施期間や参加者、神事、食べ物や飲み物など、様々な違いがあります。しかし、どちらの宵宮においても、地域の人々が集い、交流する機会となっている点は共通しています。
そういえば、お通夜というと、お葬式の前夜に行われることと思い込んでいますが、本当は神事で夜通し神の元に篭もることをいいました。