犯罪がわからないように証拠をうやむやにするとか、起きた事実をうやむやに無かったことにして逃げるとか、「うやむや」という言葉は悪人の方便のような気がします。さらに私は自分の非を素直に認めず、事実をうやむやにして逃げる人を軽蔑します。
自分がやらなければならないことに対して、何かと理由をつけてうやむやにして気持ちから逃げるとか、この「うやむや」という言葉は、逃げ得された理由が不明瞭な場合にとりあえず事実を忘れさせてくれる便利な言葉です。。
「うやむや」はあいまいさを長期間維持する言葉
「うやむや」とは、何かが不明確であったり、明確にされないままであったり、あいまいな状態であることを表す日本語です。つまり、事実や真相がはっきりしておらず、どうなっているのかが不明瞭な状態を表します。さらに「紛らわしいことばかり言って、はっきりしないでいる」という意味が込められています。
現代でも「うやむや」は、会話や文章の中でよく使われる言葉で、状況が明確でなかったり、説明が不十分であったりするときに用いられます。
「うやむや」を漢字で書くと「有耶無耶」。その意味は?
「有耶無耶」は四字熟語で、物事がはっきりしておらず、存在があるのかないのかわからない状態を表現する言葉です。
「耶」は漢語で、疑問や反語、感嘆などを表す語。『古今集』に「名にし負はぱいざ問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」(在原業平)の歌があるが、「有耶無耶」は、この「有りや無しや」を漢文調に表記し、音読みにしてできた言葉だといわれています。
また昔は「有耶無耶関」という関所がありました。
陸前(宮城と岩手)と羽前(山形)の国境笹谷峠の辺にあり、地元では、むやむやの関、もやもやの関、有也無也関ともいったらしい。
松尾芭蕉『奥の細道』にも出てくる象潟は、現在の秋田県。芭蕉は象潟の入江に舟を乗り出し、能因法師の遺跡をたずね、西行法師の記念の桜の老木をみるなどしてから、干満珠寺の座敷にあがります。そこの座敷からの眺めは格別で、「風景一眼のうちに尽きて、南に鳥海天をささへ、その影うつりて江にあり。西はむやむやの関路を限り」と読んだとか。
「有耶無耶」が使われだしたきっかけ
「有耶無耶」がいつ頃から使われ始めたのかについては、定かではありません。
平安時代には、多くの仏教用語や漢詩・漢文化の影響を受けた言葉が日本に取り入れられ、いくつか日本語の中に組み込まれました。「有耶無耶」もそのひとつだと思われます。
また、江戸時代に入ると、庶民の間でも四字熟語が広く普及し、多くの人々に使われるようになりました。その中には、「有耶無耶」も含まれており、当時から一般的に使われていたとされています。
以上のような情報から、少なくとも平安時代以降には「有耶無耶」が存在していたと考えられています。しかし、具体的な証拠は見つかっていないため、正確な時期については不確かなままです。
政治や社会論争するさいに便利な表現
日本の政治や社会において、問題や論争があった際に、あえて具体的な結論を出さずに問題を曖昧にすることがあることから、このような表現が使われることがあります。
例えば、政治家が国会答弁で、問題に対して具体的な回答を避けるために「うやむや」を使い、企業や組織が何らかのトラブルが起こった際に、事実を曖昧にしたり、責任を回避するために「うやむや」を使います。
うやむやな表現をされるとかえって疑いの気持ちが強くなって、より印象が悪くなるものですが歴史はこれをよく繰り返しています。
「うやむや」とは悪い言葉なのか
問題や論争があるにもかかわらず、あえて結論を出さずに問題を曖昧にすることは、社会的に望ましいとは言えません。特に政治や組織において、責任を回避するために「有耶無耶」が使われることがあるため、そのような場合には批判が集まることもあります。
また、一方で、「有耶無耶」は、物事が決着がつかずに、未解決のまま残る状態を表す言葉です。このような状態が続くことは、解決を急ぐ必要のある問題については、望ましくなく、逆に問題を深く掘り下げるためには時間稼ぎに必要な場合もあります。
つまり、「有耶無耶」は必ずしも悪い言葉というわけではありませんが、状況や使われる文脈によっては、批判を浴びることがある言葉です。
「うやむや」と同じ意味の言葉は
「曖昧(あいまい)」や「不明瞭(ふめいりょう)」などが、うやむやと同じ意味の言葉です。
「うやむや」、「曖昧」、「不明瞭」は、いずれもあいまいさや明確でないことを表す言葉ですが、微妙にニュアンスが異なります。
「うやむや」は、何かが不確かであることを表しますが、その理由や原因が分からないことを示します。つまり、情報が不十分であるために明確に理解できない状態を表します。「彼女の態度がうやむやだ」といった使い方が代表的です。
「曖昧」は、はっきりしない表現や、どちらとも取れるような表現をすることを指します。具体的には、あいまいな言葉遣いや、明確でない表現を用いた文書などが、曖昧なものとされます。「彼の言葉が曖昧で、どういう意味なのか分からない」といった使い方が代表的です。
「不明瞭」は、文字や画像が不鮮明で、はっきりと見えない状態を指します。例えば、文字が小さくて読みにくかったり、画像がボケていたりする場合に「不明瞭」と表現されます。「この文章の文字が不明瞭で読めない」といった使い方が代表的です。
これらの言葉の違いをまとめると、以下のようになります。
・うやむや:情報が不十分で、明確に理解できない状態
・曖昧:はっきりしない表現や、どちらとも取れるような表現をする状態
・不明瞭:文字や画像が不鮮明で、はっきりと見えない状態
「うやむや」の反対語は
「うやむや」の反対語としては、「明確」や「明瞭」などがあります。つまり、はっきりとした情報や、明確な理解が得られる状態を表します。例えば、「以前は問題をうやむやにされて先送りにされたが、今回は証拠が揃って課題が明確になった、問題解決につながるだろう」といったように使用されます。