伊勢神宮、春日大社など神社と言えば有名なところのほうが御利益はあるといいます。
でも1番大切にしなければならいのは、自分が住んでいる地域の氏神様です。
つねに身近に存在し、身の回りで見守ってくれている神様こそ、大切にしなければなりません。
お正月や何かちょっと神様にお願いしたいことがあるとき、幼い頃から足を運んでいる近所の神社はありませんか?
最近新天地で新たな生活を始めている人なら、近所にいくつか神社があると思うので、そのなかから特に自分の気持ちにしっくりくる神社を見つけてみるといいかもしれません。
そして、日本に伝わる神様は八百万神と言われるぐらい数え切れないぐらい存在し、それぞれ何を守り、何を伝えるか、という役割を持っています。
神社にお参りする際は、敬う気持ちがあるならそこにどんな神様が祀られていて、その神様の性格や役割を知るぐらいのことはやっておくべきです。
古代の日本人達は神とともに生き、敬っていた
古い時代には、氏神のもとになった地域の守り神は、特定の名前をもっていなかった。
神をまつる人びとは、自分たちをまもってくれるものを「御霊(みたま)」、「神」、「命」などと呼んで、素直に敬っていました。
また、現代のようにテレビやインターネットも本も電話も携帯音楽プレーヤーも無い時代に生きる人々ですから、現代人より数十倍感受性が豊かで様々な事象や自然現象に対して、敏感に意識していたと思います。
住んでいた大地も自然そのままで、微細な息吹までも敏感な感性でキャッチしていたのではないでしょうか。
だからそこに、何か目では捉えられない大きな存在を感じる事ができたのだと思います。
宗教とかそういう定義できるようなものじゃなくて、ごく自然に湧き上がってくるような意識のようなもの。
意図したものではなくて、それはとても自然なことだったのではないでしょうか。
そして「御霊」とは「魂(たましい)」のことで、人の内側にあるよい心をあらわしています。
古代人は、すべての人間が体のなかに「たましい」という清い心をもつと考えました。
そして、肉体をもたず「たましい」だけで存在する、目に見えないものを神というものだと意識したのです。
「神(かみ)」は、本来「上(かみ)」と書き、人びとの上の空中にいる者をさす言葉です。
また、「命(みこと)」は「御言(みこと)」に由来する言葉で命令を下す方をさします。
古代人は、神は自然を整えて自分たちをまもってくれる温かくて広い心をもつたお方だと考えていました。
それとともに、自分たちも神と同じ清い心で助けあっていかねばならないと思いました。
神道の基本に、自然とも人間とも協調して無欲に生きることが望ましいとする発想があります。
まさにその精神は、古代から現代までずっと引き継がれてきた日本人の感性なのです。
御利益で神を選ぶ行動が、神社の支店展開がはじまった
古代、力を持った集団により、日本が統一されていくと、各地の村落の神が、固有の名前をもつようになりました。
このことは、他の神と区別するためになされました。
地名をつけて、「佐太の神」(のちの島根県の佐太方神)、「宇佐の神」(のちの宇佐八幡宮)などと呼ばれた神もあります。
また、自分がまつる神に大国主命、事代主命のような有力な神と同じ神名をつけた例もあります。
そして平安時代以降、さまざまな信仰が流行します。
そのたびに、古くからの神名を捨てて、より御利益のある神をまつろうとする者が出ました。
神社運営に欠かせないお布施や信者獲得のために、人がいちばん欲する御利益を選んで、それにまつわる神様を祀ったのだろうと考えられます。
資本主義が浸透してくると、こういう利益追求型の動きがでてくるのもやむを得ないことかもしれません。
中世に大国主命をまつる神社が、八幡社や天神社にかわった例も多い。
さらに、江戸時代には商売繁昌と金運をもたらす稲荷神がひろくまつられました。
主な神社の数
・稲荷社/19,800社
・八幡社/14,800社
・天神社/10,300社
・諏訪神社/5,700社
・神明神社/5,400社
・野神社/3,300社
・春日神社/3,100社
・八坂神社/2,900社
・白山神社/2,700社
・住吉神社/2,100社
・日吉(山王)神社/2,000社
・金毘羅神社/1,900社
・恵比寿神社/1,500社
以上、最も身近な人生の相談役となる氏神様の種類と由来でした。