手締め、清めの塩、鬼門、普遍的な縁起担ぎの由来

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普通に生活をしていると、それが縁起担ぎの行為であると知らずに行っている習わしがたくさんあります。
例えば手締めなどがそうです。お祝いの席で景気づけにおこなっていたり、場を締めるためにおこなっているように思いますが、これも古代の宗教的な慣習に由来するようです。
その他、盛り塩など鬼門を清めるという風習が地方や都市に関係なく、日本の風習として根強く残っています。

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手締めの由来

無事に物事が終わったときなどに、「お手を拝借!」との掛け声に続けて、一同が「シャンシャンシャン」と手締めの拍手をして解散することがあります。また、酉の市で商売が成立したときに、売り手と買い手が手締めをしたり、年末の証券取引所の大納会でも手締めで終わるなど、いまでもあちらこちらで、手締めの光景を見かけます。

手締めの由来は、もともとは争い事でもめた同士が和解する際に、お互いに物騒な刃物などを持っていないことを示すために、指を開いてから拍手したことに始まるといい、大相撲で土俵に上がった力士が柏手してから両手を左右に広げるのも、同じような意味があるともいいます。

手締めの打ち方には、三本締めと一本締めがあり、一本締めは三本締めを省略した形式的な手締めです。
ただし、上記のように奇数回数で締めるのは中国の陰陽道に由来しています。
日本では伊勢神宮の正式な作法「八度拝」、出雲大社の四拍手、一般の神社の二拍手のように偶数が基本だからです。

清めの塩の由来

どんなに清らかに生きていると自慢しても、普通に生活をしていると心身に様々な邪気が蓄積していくものです。大きな災いでなくても、些細な災いであっても日本人は、それがなんらかの悪運が影響していると考えてしまいます。

だから日本人は古来、塩には不浄やケガレを祓い、清める力があると考え、神聖な場所などに供えたり、仏事の際に清めの塩として用いたりしてきました。

そもそも塩は人間が生きていくうえで欠かせないミネラルであり、昔の日本人にとって非常に貴重なものとして扱われてきました。

とくに塩には、ものが腐敗するのを防ぐ作用があり、塩に漬けることで長期の保存が可能になることから、塩に不思議な力があると考えられたのです。

ちなみに現在でも、家を建てるときの地鎮祭で土地を清めたり、大相撲で力士が土俵に塩をまいたり、お店の入口などに盛り塩をするなど、塩の神通力は変わっていないようです。

<盛り塩の作法>

盛り塩用の塩は、天然の粗塩を使用します。
理由は天然塩に邪気を祓う能力があるためと塩の結晶が絡みやすく、適度な湿り気も有り風に飛ばされにくく。形をつくりやすいから。

一般的に塩を盛るときは、室内では小皿や半紙等の器を使用します。
玄関先の場合には地面に直接盛るか、小皿に盛るとよいでしょう。用いる小皿に決まりはないので、お気に入りのものを使用するといいでしょう。

鬼門と北東の方角の関係

日常的に「○○は鬼門だ」などと表現されるように、鬼門は「苦手、敬遠する」といった意味で使われています。

もともと「鬼門」は、中国から伝わったもので、北東の度朔という山に大きな桃の木があって、そこに万鬼(すべての死者の亡霊) が集まることから鬼門と呼ぶようになったのですが、日本の鬼門のような方角禁忌は含んでいませんでした。

それが日本に伝わると、平安時代中ごろから方位の吉凶を占ったり、邪気を祓ったりする陰陽道によって、鬼門は、鬼が行き来するといわれる「北東の隅」を指して、方角禁忌の考えが加わりました。そのため、不吉なことが起きるということで北東の方角を避けるようになったのです。

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また、鬼門に当たる北東の方角を「表鬼門」と呼び、反対の南西の方角を「裏鬼門」と呼んで、家などを建てる際にも、この表鬼門・裏鬼門の方角に、玄関、便所、風呂場などを造ることを忌み嫌いました。

こうしたことから、鬼門除けという対策も講じられるようになり、鬼門に当たる方角の屋根に鬼瓦をつけたり、村では鬼門除けに鬼門堂を建てたりしました。

また、比叡山延暦寺は、平安京遷都の際に鬼門の凶害を避けるために建立され、江戸幕府もこれにならって、江戸城の鬼門に当たる方角に東叡山寛永寺を建立したということです。

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