四季の変化に富んだ日本では、季節に対する感性が磨かれていきました。
日本人は季節の移り変わりにとりわけ敏感で、手紙でも、四季折々の情景を折り込んだあいさつで始めるのが、習わしとなっています。
現代はその感性も鈍っているのと、機械変換で言葉の知識も乏しく、季節の表現力が落ちています。
今からでも良いので、過去の日本の手紙文化を見直したほうがいいのかもしれません。
時候のあいさつ
手紙の冒頭で使われる時候のあいさつは、旧暦の月の呼称や二十四節気にもとづいているので、現在の季節感とは多少、ズレがあります。
例えば、猛暑の日が続いていても、八月になれば「晩夏の候」と書くなどです。
また、時候のあいさつで使われている言葉そのものが、現在では、日常的にあまり使われなくなっているものも少なくありません。
例えば、一月の手紙や年賀状では「頒春」と書くことがあります。
この「頒」は「讃える」ということで、「頒春」は「新春を迎えたことを讃える」という意味です。
また、三月の時候のあいさつである「啓蟄(けいちつ)」は、「冬ごもりをしていた虫が、地上に出て活動を始める時期」という意味ですが、「頒春」「啓蟄」ともに、現在では手紙以外で、あまり使われなくなりました。
こうした慣用句にとらわれることなく、現代ならではの季節感を盛り込んでもかまいません。
年賀状という新春の挨拶状の由来
もともと年頭には、祝賀を交換する習わしがありました。
やがて年賀のために元日に上司や目上の人などの家々を回るようになり、年賀を受ける側も、酒・肴・雑煮などを用意して、もてなすようになりました。
しかし、年賀に行けない人は、年賀のあいさつを手紙に書いて送っていました。
これが現在の年賀状の習慣に引き継がれています。
現在、年頭の祝賀は、年賀状だけですませることが多くなっていますが、この際、「謹啓」「拝啓」といった頭語は不要で、「賀正」「謹賀新年」などと書きだします。
ちなみに、最後の日付を「一月元旦」と書く人がいますが、「元旦」とは「一月一日の朝」のことですから「一月」は不要です。
贈答の習慣が簡略化されて生まれた暑中見舞い
暑中見舞いは、もともとお盆の贈答の習慣が簡略化されたものです。
かつては、お盆に里帰りする際、祖先の霊に捧げるための物品を持参する風習がありました。
それが、しだいにお世話になった人全般への贈答の習慣になっていきました。
その際、本来は直接訪問して届けるのが一般的でしたが、やがて簡略化され、手紙ですませるようになったのが、現在の暑中見舞いです。
暑中見舞いは、二十四節気の「小夏」(七月七日ごろ)から「立秋」(八月八日ごろ)にかけて贈るのが通例で、立秋、を過ぎたら「残暑見舞い」とします。
ちなみに、お盆の贈答の習慣は、お中元へと受け継がれていきました。