ポリポリと小気味いい音をたてて食べる沢庵は、とても食欲をそそります。
今回はその沢庵・・・というより何切れで食べるかというお話です。
目次
日本人は言葉の語呂の良しあしを特に気にする民族
縁起を担ぐ主人が経営する食堂で、沢庵が白いご飯とともに出されたときに添えてある沢庵が何切れあるか?
おそらく二切れでしょう。
それは「沢庵は二切れに限る」という迷信を主人が信じているからです。
なぜ、三切れや四切れではなく二切れなのか?
これも日本の多くの迷信に共通する、言葉の語呂から考えられたと言われています。
●沢庵が一切れだった場合
一切(ひときれ)れは、「人切れ」と語呂が合ってしまうために縁起が悪い言葉です。
食堂は客商売である以上、刃傷沙汰が起こる場所では困ってしまうので、一切れで沢庵を出さなくなりました。
●沢庵が三切れの場合
三切れ(みきれ)は「身切れ」と語呂が合ってしまうために避ける店が増えたそうです。
その言葉の響きから、武士の時代には、切腹を命じられた人の最後の食膳には、漬け物を三切れ出す風習があったとも伝えられています。
●沢庵が四切れの場合
四切れは日本人が嫌う「死」と語呂が合う「四」という数字がついています。だからどうしも「死」を連想してしまうので、避ける傾向が強い。
そこで数字で残っているのは、二切れだけということになります。
五切れ以上出すと、今度は店側の採算が合いません。
お店だけではなく、来客時に自家製のお新香を出す農家でも、一切れあるいは三切れしかお新香を食べない客は嫌われたという。
鎌を使う農家の人にとって、鎌で自分の体を切ってしまうことを連想させられるとあっては、嫌がられたのも無理はありません。
ポチップ