昭和23年(1948)に、1月15日が成人の日として国民の祝日と決まりました。
また1月15日は、農村の重要な節目であった小正月の日にあたります。
小正月の日には、小豆粥を神に供えて豊作を祈願するという風習があります。また地方によってはこのほかに、餅花(木の枝に餅をつけたもの)を飾るなどして、作物の豊穣を祝う行事が行なわれていました。
しかし明治時代以後、小正月の祭りはしだいに後退していきました。そのために戦後に小正月に代わって、20歳を迎えて成人になった男女を祝福する行事がつくられたのです。
これが今の続く成人の日の由来です。
やがてこの日に、市区町村などの主催による、大がかりな成人式が開催されるようになっていきました。
そして平成12年(2000)に、成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に変更されました。「成人」といわれる20歳になった若者には、選挙権が与えられて飲酒、喫煙が公認されています。
しかしかつては、男性は数え年15歳前後、女性は数え年13歳前後で成人として認められた時代がありました。
元服と髪上げが成人式の儀式だった時代
成人式は、古代の日本で行なわれた男子の元服と女子の髪上げの行事の流れをうけるもの。
元服は、奈良時代の貴族社会でつくられた男の子の成人式。
その時代に、数え年で13歳から15歳くらいの男子が、元服式を行ないました。
この元服を終えた者は、成人と同じ服装、髪型をして冠をかぶるようになります。
しかし貴族の子弟が役人として出仕する年齢は、現在の成人の年齢に近い数え年21歳くらいでした。
女子の成人式は、平安時代に定められました。
貴族の家が13歳から16歳くらいの女子に、髪上げのお祝いを行なうようになったのです。
髪上げをすませた女子は、それまで垂らしていた髪を結って、裳という成人がつける正装をまといました。
鎌倉時代以後、武家社会でしだいに男性は15歳、女性は13歳で成人とする考えが広まっていきました。そして男性は、元服のあと牛若丸といったような幼名に代わって、義経のような大人の名前を名乗るようになります。
農村では成人とされる年齢が遅かった。
江戸時代の農村では、男女とも数え年18歳か19歳で成人になるのが一般的でした。
成人になった農村の男女は、若者組、娘組に入って氏神様の祭りの運営などのさまざまな村落の行事に加わることになります。
若者組でも娘組でも、新たに自分たちの構成員になった者のための、大がかりなお祝いがありました。
このような庶民の成人年齢は今日の成人年齢につらなるもの。家族、親族、地域の人びとの、一人前の働き手になった者を祝福する気持ちが、さまざまな成人儀礼をつくり上げてきたのです。