いくつになっても私の生命力の源は「推し活」にあると言っても良いぐらい人生において欠かせない活動です。
日本の歴史を振り返ってみると、宮廷音楽や能楽などの芸能に対して観客が熱狂することがあり、そうした熱狂が、現代の「推し活」の起源につながっている可能性があるそうです。
でも最初は貴族や恵まれた武家の娯楽であり、芸能的な文化活動が庶民の間でも流行したのは、江戸時代からです。
江戸時代では全国的に歌舞伎や人形浄瑠璃などの演劇をはじめ、浮世絵のコレクションが盛んになり、観客たちはそれぞれ好きな役者や絵師を応援するようになりました。特に、江戸時代後期になると、役者の個性がより重視され、ファンの熱狂も高まっていったようです。
推しの歌舞伎役者や浮世絵師への熱狂
江戸時代の推し活は、主に歌舞伎役者や浮世絵師、詩人、書家などの文化人を中心に向けられていました。彼らの作品や芸能に対する熱狂は、当時の芸能文化の中心的なものであり、多くのファンたちがその追っかけ活動に熱中していました。
歌舞伎役者については、役者の演技や見た目、性格などによってファンが分かれ、それぞれのファンクラブのようなものが存在しました。また、浮世絵師についても、彼らの作品に対する愛好家が多数おり、彼らの出版物を求める熱狂的なファンが存在しました。
また、当時の男性中心社会の中でも女性たちは、歌舞伎などの芸能にも興味を持ち、熱心に観劇したり、歌舞伎役者の芸や美貌に魅了されて幸せなひとときを楽しんだといいます。
さらに浮世絵に描かれるほど人気があったのは歌舞伎役者だけでなく、無類の強さを誇った伝説的な横綱、谷風に代表される力士、庶民には高嶺の花であった吉原の高級遊女、あるいは辻講釈で人気を得た深井志道軒など、さまざまな分野の有名人たちの姿が浮世絵に描かれてファンを魅了しました。
いずれの場合も、推し活は自分たちが愛する文化や芸能に対する熱狂が中心であり、その熱狂を通じて、自分たちの日常生活から少しでも逃れ、何か特別なものに触れたいという欲求があったと考えられます。それは現代にも通じるものがあります。
江戸時代の推し活「ファン交流イベント」
さすがに現代のようなアイドルの握手会やサイン会は無かったそうですが、役者や芸人が舞台上でファンとのコミュニケーションを楽しむことはよくありました。
例えば、歌舞伎役者は舞台上で客席に向かって手を振ったり、芝居の合間に客席に向かって声をかけたりすることがありました。また、芸人は、落語や狂言の中で、観客に向けて掛け合いをしたり、場合によっては客席に下りて来たりすることもありました。
さらに、当時は芸能という職業自体が、一般の人々との接触が比較的容易で、役者や芸人が普通に町中を歩きながらファンと交流する姿もよく見られました。とても身近な存在でした。
江戸時代の推し活「推しグッズ」
江戸時代には、現代のような大量生産されたグッズのようなものはありません。しかし、芸能界で活躍する役者や芸人たちは、自分たちの人気を維持するために、自身の肖像画や芸に関連する雑貨などを販売するしました。
例えば、歌舞伎役者は、自分たちの代表作の場面や、自身の肖像画を描いた浮世絵を販売していましたが、人気のある絵師が描いたものは相乗効果ですぐに売り切れてしまうほどでした。
また、当時は、役者や芸人の名前や似顔絵が入った扇子や手鏡など、装飾品としても生活雑貨としても使われるものも販売されていました。これらのアイテムは、役者や芸人のファンたちが観劇の際に購入し、推しグッズとして宝物のように大切にしました。。
江戸時代に最も推された役者
市川團十郎家(成田屋)
市川團十郎といえば、「荒事(あらごと)」と呼ぶ芸が特長。この荒事(神が正義のために荒ぶる様子をいう)という様式芸を創始し、伝えてきたことが「江戸歌舞伎の盟主」となった。荒事は衣装も大胆な絵柄で、隈どりをすることも多く当時の歌舞伎界で最も著名な役者でした。彼の最大の魅力は、豪快かつ迫力のある演技で、様々な役柄を演じ分けることができました。また、彼の男らしい容姿や独特の声色も人気を博し、当時の女性たちからも絶大な支持を受けました。
松本幸四郎家(高麗屋)
江戸後期の名優で、その面立ちから俗に鼻高幸四郎(はなたか こうしろう)と呼ばれた。実悪と呼ばれるスケールの大きな悪人を演じれば三都随一、古今無類と最大級の賛辞を受けました。彼が舞台で見得をするとあまりの怖さに子供が泣出したと言われています。
尾上菊五郎家(音羽屋)
女形の代表的な役者。最大の魅力は、女性的な優美さと、豊かな感情表現。幅広い役をこなす芸の力と、女形もいける姿の美しさで、代々人気を博してきた。現在でも、菊五郎と市川團十郎は、似合いの一対として役を務め、相乗効果でもともと高い人気がさらに高まることになりました。
江戸時代の推し活「活動費用」
観劇費用
歌舞伎や芝居などの舞台公演に足を運ぶためには、入場料が必要です。観客の身分や経済力によって、席の種類や価格が異なりましたが、一般庶民が見る場合、安い場合でも数十文から百数十文程度の料金がかかったとされています。
持ち物や服装代
推し活の際には、応援グッズや当時流行したファッションコーデなど、推しに関連する持ち物や服装を揃えて観劇の日を楽しみます。
旅費
自分の暮らす地域を離れてまで推しの舞台を観覧するために、高い旅費が必要です。当時の交通手段は徒歩や船などで、長距離を移動する場合は数日から数週間もかかりました。また道中の危険を回避するために用心棒を雇う場合もありました。
お土産代
推しに会いに行く際には、お土産を持っていくことが一般的でした。特に、江戸時代においては、土産物に対するこだわりが非常に強く、相手に喜ばれるような贈り物を選ぶことが求められました。
グッズ代
役者絵、芝居絵(摺物)の価格は、小判(縦19.5cm×横13cm)で8文(約160円)、大判(縦39cm×26.5cm)で20文(約400円)と、庶民も手が出しやすいお手軽な物でした。役者の素材も、絵師も豊富で次々と発売され、人々を飽きさせることがなかったといいます。
江戸時代と現代「推し活を比較」
同じ点:
熱狂的なファンが存在すること
江戸時代には歌舞伎役者や落語家などの芸能人に対して熱狂的なファンがいたように、現代でもアイドルや俳優などに対する熱狂的なファンが存在します。
イベントやコンサートなどでのファンとの交流
江戸時代には歌舞伎役者が公演の前に客席に出て挨拶する「神楽坂の立会い」というイベントがありました。現代でもアイドルや俳優などがファンイベントや握手会、ライブなどでファンと交流する機会があります。
グッズの販売
江戸時代には歌舞伎役者の絵が描かれた絵馬や錦絵が販売され、現代でもアイドルや俳優などのグッズが販売されています。
違う点:
情報伝播の速さ
現代ではSNSやインターネットなどを通じて情報が瞬時に拡散されるため、アイドルや俳優などの情報を手軽に入手することができますが、江戸時代では情報の伝播は比較的遅く、芸能人についての情報を知るには劇場に足を運ぶ必要がありました。
視聴・鑑賞の場所
現代ではテレビや映画館、インターネットなどを通じて芸能人の作品を視聴することができますが、江戸時代では歌舞伎や落語などの舞台芸術を劇場で鑑賞することが主流でした。
芸能人のスタイルや衣装
現代のアイドルや俳優などは、ファッションや髪型、メイクなどにも注目され、時代や流行に合わせてスタイルや衣装が変化しますが、江戸時代の歌舞伎役者は、芸風や役柄に応じた定型的なスタイルや衣装があり、その変化は比較的少なかったとされています。
江戸時代に推し活をする人は、一般的には少数派であったと考えられています。当時の日本は農村社会が主流で、都市部に暮らす人々も庶民が大半でした。また、文化活動に参加するにはある程度の余裕が必要であり、貧困層や労働者階級はそうした活動には参加しにくかったとされています。したがって、推し活に熱中する人々は一定の社会的地位を持つ、比較的裕福な層に偏っていたと思われます。