三輪そうめんで有名な奈良県桜井市三輪にある大神神社は、日本最古の神社として知られています。
『古事記』によれば、大神神社のご祭神である大物主大神(オオモノヌシ)が出雲の大国主神(オオクニヌシ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります。
このような大国主命の国造りの物語は、古事記や日本書紀に詳しく書かれています。
特に大神神社と大国主命との関わりには、天照大神率いる軍との抗争に深い意味があったのではないかと想像され、公には語られない謎があるといいます。
大国主命の国家の平定
大国主命がこの国家の平定作業を行ったとき、それに協力した神が大和地方にもいて、『古事記』ではそれを次のように伝えています。
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大国主命(オオクニヌシ)は、少彦名命(スクナビコナ)という神とともに国を作り、体制を固めていきました。ところがやがて少彦名命は、ひとり常世の国へと渡っていってしまいました。取り残されてしまつた大国主命は、こういって嘆く。
「私ひとりで、どのようにしてこの国を作っていけばいいのだ? どの神と一緒にやれば、この国を作っていけるのだ?」
すると、海を照らしながらやってきた神があった。その神が言うには、
「私を祀れば、きっとあなたもうまくいくだろう」
大国主命が「どうやって祀ればいいのか?」ときくと、その神は「大和の国の周囲を青垣のようにめぐっている山の東の山上に祀れ」と答えた。こうしてこの神は、御諸山(ミモロヤマ)の上に坐すようになりました。
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この御諸山が、現在の奈良県桜井市にある三輪山です。
だから三輪山を祀る神社大神神社は、この大国主命と同盟を結んだ神を祀っているということになります。
日本最古の古墳・箸墓が示す仮説
三輪山の麓には、大和朝廷発祥の地とされている場所(桜井市纏向(まきむく)遺跡)があります。
おそらくは発祥直後の大和朝廷もまた、この三輪山の神を崇拝し、祭祀していたに違いないとも考えられます。
いったいこれは、どういうことなのでしょう。
まず、三輪山に祀られた神についてです。
『延喜式』によれば、三輪山は「大神大物主神社」と表記されています。だから祭神は大物主(オオモノヌシ)ということになります。
三輪山の神については、こんな有名な伝説があります。
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疫病の流行平癒をきっかけに、大物主と倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)が結婚しました。
だがこの神は、闇にまぎれて毎回通ってくるだけで、決して姫に姿を見せようとしない。
そこであるとき姫は、「あなたの正体が知りたい」といった。
すると大物主は、明日の朝は姫の櫛を入れる小箱のなかにいることにすると宣言。
そして朝、姫が小箱を覗くと、なかには一匹の蛇がいました。
姫が驚くと、大物主はバカにされたと怒り、山に帰ってしまいます。
恥じた姫が思わずしりもちをつくと、たまたまそこにあった箸がホト(女陰)を突いて死んでしまうのです。その姫を埋葬したのが、三輪山の麓にある箸墓です。
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箸墓といえば、日本最古の前方後円墳の可能性が指摘される古墳です。そして前方後円墳はまさに、大和朝廷のシンボルと言われています。
つまり、三輪山の神である大物主が怒って山に籠もった(隠れた)あと、前方後円墳が誕生した。これは、大物主から大和朝廷への主権の移動がされたことを語っているのではないか? と読み取れるのです。
そのせいか、三輪山の大物主は、大和朝廷発祥の地を臨むという格好の場所にあるにもかかわらず、天孫(高天原系の神)ではなく、ランクの低い国神とされています。
おそらく三輪山の神は、大和朝廷発祥以前に、この地方を支配していた人々が祀った神だ った可能性があります。
その彼らが、大物主を捨てて天照を主神にすり替えたのか、あるいは天照を主神とする部族が大物主を掲げる部族を討ち滅ぼしたのか、詳細はわからない。
だが、最初に書いたように大物主が大国主命と共闘関係にあったとのだとしたら、大物主は反大和勢力のひとつだった可能性があります。
三輪山の神は、大和朝廷発祥の秘密も天皇家の謎も、すべてを見つめ続けてきた神なのです。