知人友人、仕事関係の付き合いなど食事を通して親交を深めるということはよくあります。
しかし、レストランや居酒屋などではなくその方の自宅に招かれてご馳走になるときは、日本人として大切にしたいマナーが昔から伝わっています。
それがお茶碗の中のごはんを「全部たいらげてからお代わりするのはよくない」という言葉です。
その言葉には、日本人のどんな思いが込められているのでしょうか?
他所のお家で、ご飯のお代わりをすすめられたときの作法は?
ご近所付き合いや友人の誘いで、他所(よそ)の家で食事をご馳走になるとき、その家の家人は「好きなだけ食べてください」としきりにご飯のお代わりを勧めてくれるでしょう。
せっかくだからと、「ありがとうございます」と空になったお茶椀を差し出して、お代わりをいただきます。
しかし、ここで注意しなければいけない食事の作法があります。
例えば飲み会の席で、お酒を注いでもらうときはコップの中を飲み干してから差し出します。
それと同じように、ご飯が少なくなった時点で「お代わりどうですか?」と声をかけられたら、「お願いします」とお茶碗の中のご飯を食べきってから差し出すのが普通だと思います。
確かに日本人の礼儀作法において、お代わりを断らないのは正しい。この作法に関しては、日本人にとっては常識かもしれない。しかし少し間違いがあります。実はお茶碗の中身が重要なのです。
他所の家でご馳走になっているので、茶碗にあるご飯をきれいに片付けてから、お代わりの茶碗を差し出すのが礼にかなった行為だと、親から教えられてきた人も多いでしょう。これが間違い!
縁を大切にする日本人の奥ゆかしい作法
茶碗の中のご飯を全てたいらげてからお代わりをお願いするのは、好ましくない作法です。
そのことを知る日本人は、今となっては少ないのではないだろうか。
少し前の日本人は「お代わりのとき、全部たいらげるのはよくない」と伝えてきました。
正しいお代わりの作法とは、一口分だけご飯を残して、お代わりをお願いすることです。
なぜ、一口分だけご飯を茶椀に残すのか?
これは、一口分のご飯を残すことで、ご馳走になっている家の人たちとの縁が切れていないことを表現しようとしたからです。
反対に、ご飯をすべてたいらげてしまった状態は、「もうご飯は必要としない」という意味ではなく、「お宅との縁はもうこれっきりです」という意思表示になりかねないと日本人は考えたのです。
現代と違って昔は知人、近所と人々と困ったときはお互い様の精神で暮らしていました。
コンビニもなかった時代は、お醤油が切れたら隣の家に借りに行ったり、不在時に送られてきた荷物を代わりに受け取ってもらったりと、お互いに何かと助け合うのが当然でした。
だから知人、近所との縁を大切にしようという日本人の志向は、このような食事のマナーにも反映されていたということです。
これは日本人の「伝統的な生活の知恵」なのかもしれません。
現代社会ではそこまで密接な関係を作るのは難しいかもしれませんが、逆に昔ながらのご近所づきあいが見直されている傾向もあります。
人間関係が希薄になるとお互いを警戒の目でみる嫌な社会になり、犯罪が起きやすいこともわかってきました。
平穏に暮らしたいなら、他人との縁を大切にすること。
古い迷信だと軽んじることなく、覚えておいて損はししない作法です。