江戸の町人文化に学ぶ、自然のおかげ、人様のおかげの精神

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会社や職場で働くことは、その機関の歯車のひとつとなって、ただ精一杯無心に業務を全うすればいい。
上辺だけの最低限のつき合いで、対人関係の摩擦を避けてドライに人生を歩むことが現代流と、ただお金のため、自分自身の欲求を満たすためだけに働くことが本当に良いことなのでしょうか?

親切心から人に関わると不審者としてすぐに通報されてしまう、お互いが警戒し合うような妙な緊張感が漂う世の中に、いつからなってしまったのでしょうか。
狭い島国に生きる日本人が培ってきた人間関係を築く良い習慣や意識が、次々と制定される法と規制によってどんどん削がれているような気がします。

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だから誰にでも平等に接する会社は繁盛する

「働く」という字は、「人のために動く」と書きます。
人のために動いている人が目の前にいる。
なんとありがたいことか。

その気持ちを表現するねぎらいの言葉が「お疲れ様」です。

「お疲れ」に「様」という敬称をつけるのは、日本のとても素敵なところです。
そのような文化があるのも、人を敬う心が根ざしているからでしょう。

江戸時代も町人の間では、誰にでも平等に接するということが当たり前であり、とくに統率者にはそれが求められました。
それができないような統率者には、人はついていかないものです。

江戸の大店の主は、使用人に対してきちんと「おはようございます」と、同格の言葉を使っていました。
使用人に「おはようございます」と言われたのに、「おはよう」と返すような主は、尊敬されないどころか、軽蔑されそうです。
現代の会社などではそれがあたりまえで、従業員との威厳を保つためにあえて偉ぶるような習慣があります。

でも言葉は心の表われなので、働いてくれているという気持ちがあれば自ずと「おはようございます」と返せるというわけです。
これは今でも同様で、上の者が下の者に対してぞんざいにふるまっていると、その態度はその会社そのものの態度になり、お客さまをもぞんざいに扱うようになっていきます。

トップが不正を働いたり、最近の食料品の偽装のように、人を人と思わない仕事をしている会社は、いずれ経営が立ち行かない事態に陥っていくものです。
従業員に対して、感謝の気持ちを常に抱き、言葉にも表わすトップのもとでなら、従業員も気持ちよく働くことができるでしょう。
そのような会社が、結果的に生き残り、業績が伸びていくのではないかと思います。

江戸は、そのお手本のような時代であったようです。
前述したように、「おかげ様」という言葉には、ご神仏のおかげ、自然のおかげ、人様のおかげという気持ちが込められています。
人は神仏の化身と考え、だから「人様」と呼びました。
また、自分の行いはすべてご神仏もご先祖様もご覧になっていると考えました。
ですから、一人ひとりが凛と立ち、自助力を発揮する。

しかし自分でどうにもならないときは、周りの人が助けてくれる。
それを放っておくのは野暮な人間。

古に生まれた日本の心がしっかりと根ざしていた江戸に学ぶことはたくさんあります。
江戸時代は貧しければ貧しいなりに生活を楽しみ、楽しめないのは野暮だと笑われたそうです。
楽天的でのびのびとしていることが、日本人のもともとの姿だったのです。

以上、江戸の町人文化に学ぶ、自然のおかげ、人様のおかげの精神でした。

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