女人禁制と女の穢れの関係

女人禁制と女の穢れの関係

今は山ガールで賑わう富士山も江戸時代までは女人禁制でした。
今でも女人禁制の山があり、お祭りのしきたりなどが残っている地域があります。
女性差別の古い風習に捕らわれてはいけないと声を荒げる人々もいるようですが、日本の歴史を振り返ると女性の天皇が活躍していた時代もあり、決して女性を差別していたわけではないことがわかります。
むしろ豊かさの象徴、神に近い存在として敬われていたと思われます。

ではなぜ女人禁制や女性が穢れているという思想が存在しているのでしょう?

目次

語源で知る月経と初潮

早い人は小学校三年生ごろに初経を経験し、その後40年間くらいの間、女性には「月経」があります。
毎月あることから、古代ローマ人は、メンセス(月)といい、中国でも古くから月経、月水などといった。
日本では、古く「月のもの」「月の障」などといい、今でいう生理痛を「障虫」とか、「月水虫」といった。

初潮のことを「初花(はつはな)」ともいい、江戸時代には初潮を祝って「初花祝」が行われていました。
「月経」には、「月役」の別名もあるが、これは月経を不浄視して、その期間、別居したことをいい、女性は食事も別にする風習があった。

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古事記に見る女性を敬う観念

日本の8世紀以前には女性を蔑視する観念はありません。
『古事記』中でミヤズヒメと結婚したヤマトタケルが、宴席でミヤズヒメの衣服の裾に月経の血がついてるのに気づいて、「襲(おすひ)に裾に 月立ちにけり」と月経を新月になぞらえた歌を詠んで賛美しています。

もともと日本では古代から、神道の最高神である天照大神が女性神格であったり、邪馬台国の祭政の最高位に卑弥呼が女王として君臨していたり、女性は穢れた存在とはされていませんでした。

原始・古代の日本人の暮らしは狩猟・採集を基本とした社会で、産む性である女性は生活の中心でした。
日本神話、『古事記』の中でも、皇室の祖とされる天照大神は女性神。
神道においても、自然の神の多くは女性です。
また、古代では卑弥呼を筆頭に神功皇后、推古天皇などの女性のリーダーが頻繁に登場していることから、原始・古代の日本は母系社会であったことが分かります。

仏教伝来で古代日本人の穢れの概念に異変

語源から見ると、穢れは気(元気)が枯れている状態の「気枯れ」を意味します。
宗教的観念では、この世には清浄なものと不浄なものがあり、不浄なものを穢れ(けがれ)といい、穢れとは罪であるといわれます。

飛鳥・奈良時代、538年に仏教が百済より伝来しました。
仏教にはもともと、女性を五障(女は梵天・帝釈・魔王・転輪聖王・仏になれないとする教え)の存在におとしめ、女性は成仏できないという女人不成仏説、また女性は地獄の使いである(唯識論)など、差別的な要素を含んでいました。

しかし、仏教が伝来した当時の日本では、男性よりも女性(皇太后)が中心となって仏教を保護していため、女性は不浄であるという女人罪業観は受け入れられなかった。
むしろ皇太后は菩薩の化身であるとさえ考えられていました。
『元興寺伽藍縁起』によると、当時、日本を訪れた百済の使者は「この国にはただ尼寺ありて法師寺及び僧なし」と驚いたほどだそうです。
それほどまでに仏教の初期段階において、女性の地位は高かったのです

平安時代の9世紀初期、女性神・天照大神を祭る伊勢神宮で女性の血を忌避し始めました。
これは東宮が寝殿で血を流した(月経)その日に、天皇の死、その3日後に山火事など不吉なことが続いたため、東宮の血は凶事を表すものとされ忌避されたから。

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でも昔から女性は、神の言葉を伝える重要な役割を担っていると考えられていたので、伊勢神宮が血を忌避し始めたことと女性の穢れ思想とはつながりません。神事においても女性の地位はかなり高かった。

しかし9世紀後半にその女性の地位に変化が訪れます。
律令制の家父長制が貴族社会に定着し、男性優位の社会が確立され、女性の政治的地位が低下しました。
尼寺の地位が低下していったのもこの時期で、国家祈祷の役割を担っていた尼寺が、男僧法衣の洗濯場にまで格下げされたのです。

また、都に人口が集中したため、治安が悪化し、疫病・災害が深刻化していきました。
当時の人々は、疫病・災害の原因を「穢れ」と考えていたため、穢れ観念が異様なまでに浸透していったのです。
こうした中で、血をともなう出産や月経のような女性特有の生理現象が女性の穢れとして意識され始めた結果、女性の血の穢れ制度が成立しました。

927年に『弘任式』と『延喜式』が施行され、血の穢れとして出産と月経が扱われています。この時期に、神道では女性の血に対する穢れ思想が生まれました。

仏教僧により全国に広められた、女性は穢れているという思想

仏教が女性の穢れ思想を広める前のこと、男僧が山で修行し始め、女性がいることで集中できなくなるために女性を排除し、その正当な理由の為に、男性から集中力を失わせる女性を「穢れている」と考えました。
そして、わざわざ里へ下り、庶民に女性の穢れを説いたのです。

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鎌倉時代になると、浄土宗や真宗などの鎌倉新仏教が生まれ、山から巷に下りた僧により女性の穢れ思想が庶民に浸透していきました。
新仏教は、女性は成仏できないという女人不成仏説に対し、女性こそが成仏できるという女人成仏説を作りました。
この説の根底には「弥陀は最も愚かな悪人をお救いになる」をいう思想があります。
つまり最も愚かで罪深い悪人とは女性のことなのです。
仏教ではこの時期に、女性の存在自身が穢れているという女人罪業観が生まれました。

室町時代になると、『血盆経』が中国から伝わった。
これは以後、長くに渡り女性を呪縛し続けることとなるものです。
『血盆経』とは、出産や月経などの血の穢れにより、地獄に堕ちた女性を救済するために、中国で作られた『偽経』がもととなっています。

血の穢れによる女性の不浄観・罪業観を掻き立て、女性を地獄へ堕とし入れ、女性が自発的に血盆経を信仰するようにさせ、女性蔑視・序性差別を正当化していきました。

また、領主層における女性の所有権相続は永代相続から一期分へと変化した。
それにともない、母の地位が低下していった。このようにして、鎌倉時代に形成された女人罪業観と、室町時代に形成された血穢思想により、日本独特の仏教的差別・女人不浄観が生まれたのです。

安土桃山・江戸時代になると、武士中心の社会となり家父長制が強化されました。
その結果、女性の財産権が失われ、男子単独相続となり、女性の地位がさらに低下した。
また、江戸時代以降、男尊女卑の思想が武士層から庶民へと広く浸透し、祭りに女人禁制が取り入れられました。

女人禁制と日本人の自然観

女人禁制とは、「女の立ち入りを禁止すること。特定の寺院や霊場で信仰上女性をけがれ多いものとして、はいるのを禁止した制度のこと。またその地域。」とある。

女人禁制は鎌倉・室町時代に形成された仏教の女人不浄観からきていると考えられます。
しかし、実は仏教伝来以前から、日本には女人禁制が存在していたのです。

日本では原始・古代の神道において、自然の神の多くが女性でした。
産む性である女性は、出産を中心とした自然的機能が男性に比べてより自然の一部であるため、自然の神に対して、里の神として崇拝されていました。

原始・古代の女人禁制は女性崇拝と深く関わっています。
どうして女性崇拝と女人禁制がつながるかというと「女神と人間女性の住み分け」すなわち、お互いの領域を侵さないためです。
岩手県九戸郡山形村の民話を例に「山の神対里の神」の住み分けをみていきます。

「夫が毎朝身なりを整えて山に仕事に行くのを不審に思った妻が、他に女ができたものと思い込み、夫の跡をつけて山に入って見れば、案の定、美しい女が夫の後ろから支えている。妻が怒って近づくと、女はすっと消え、支えを失った夫は崖から落ちて死んでしまった。この女は山の神様で、夫を守っていたのである。だから、人間の女は山へ入ってはならない。」

里は人間の妻の領域であるが、山は女神の領域であった。
この領域を侵すと、女性は大切なもの、この場合は、夫を失うのです。

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大相撲の女人禁制は男性のエゴでしかない

現在も大相撲の土俵のように、女人禁制の場所や祭りがあります。
その理由はすべて、「伝統」という言葉で片付けられてしまうのですが、「伝統」というのは何を指しているのでしょう。

相撲の起源を例にあげてみていきたい。
『古事記』の「出雲の国譲り」によると、天照大神は出雲国を支配していた大国主命に、出雲の国を譲るように言った。
すると、力くらべによって決めようという返事がかえってきました。
そこで大国主命の子・建御名方神と建御雷神が相撲を取り、建御雷神が勝ったため、平和に国譲りが行われた、とある。
これが相撲の起源です。

重要なことを決める時に相撲を取り、神の意志がどちらにあるのかを知ろうとした。
つまり、相撲の起こりは神事にあるということ。
だからといって女人禁制の理由にはなりません。

それは神道の最高神・天照大神は女性神であるということです。
また、『日本書紀』の「雄略天皇 13年」には、天皇が女官を呼び集めて相撲をとらせた、とある。

この話から分かるように、「女人禁制は伝統」というのは全く説得力がない。
さらに、幕藩体制の崩壊とともに、それまで大名に保護されていた力士たちは社会的にも経済的にも不安定な状況になりました。
そこで、少しでも観客を増やすために、明治5年に女性の大相撲見物が許可されました。
また、女人禁制の伝統をもつ祭りの約3割が、人手不足が理由で女性の参加を認めています。
男性のエゴで定められた「伝統」というものは意外とあっさりと崩れてしまうのです。

土俵の女人禁制は単なる女性差別である、と言われるのは当然のことです。
そもそも、女性のケガレ思想もそれに基づく女人禁制も、男性が勝手に作り上げたものなのだから。
本当の意味での男女平等の社会を作るために、国民が古代の日本人の自然観を正しく理解すれば、こうした問題を解決していけるのではないでしょうか。

以上、女人禁制と女の穢れの関係でした。

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