忍者発祥の秘密と誕生秘話

忍者の土地と言うと、甲賀や伊賀が有名です。しかし忍者という職業は最初どこで生まれたのだろうか? 

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忍者の元祖は聖徳太子の部下、「志能便(しのび)」

忍者の誕生は、霧に包まれたように謎が多く、諸説人り乱れています。一説によれば、日本の歴史上で初めて忍者を活用したのは、飛鳥時代の聖徳太子(574〜622)とされます。

彼は、蘇我氏との,政争の際、伊賀出身の大伴細人という密偵を使い、これに「志能便(しのび)」という役職名を与えたといわれます。

また平安時代の末期に京都の鞍馬山で修行したといわれる、源義経(1159〜1189)を、忍者の祖としている文献もありますし、古代中国の軍事思想家、孫子(生没年不詳)の兵法書に忍術の源流を見いだす説や、秦の始皇帝の命をうけて日本を訪れたといわれる徐福(生没年不詳)、渡来人の未商で曲芸のプロ・猿楽師などを忍者の祖とする説もありますが、いずれも伝説の域を出ません。

どの説も十分に忍者誕生に関わりが深いのでは?と考えられるものばかりですが、その中でも有力とされているのが、修験道の行者、悪党、そのほか、獬や行商などを行ないながら独立した集団を形成していた山間部に住む者などです。

まず、修験道とは、各地の霊山を崇める古来の山岳信仰と、神道、仏教、陰陽道などの要素が入り混じった日本独自の宗教です。奈良県の葛城山で修行したという呪術師の役小角が、修験道の開祖とされています。

修験道の行者、つまり山伏は、山中にこもって厳しい修行を行ないます。この修行には、祈祷などの宗教的なものだけでなく、武術や、険しい山々を踏みこえ、山中で食べものを得たりするサバィバル技術なども含まれていました。

このため、古くから修験道の修行場となった土地で独自に発達した武術、兵法が、のちに忍術に発展したとも考えられます。実は、忍者の里として知られる近畿地方 の伊賀、甲賀も、かつては修験道の修行場が多かったのです。

忍者は自由に各国を行き来するアウトロー

平安時代末期から戦国時代には、各地の荘園領主や守護大名に服従しない「悪党」と呼ばれる、独立自全の武装集間が横行していたという。

こうした悪党のなかには、武将から傭兵として雇われる者もいた。彼らは、正式な武士ではないため、もっぱらゲリラ戦や諜報、暗殺などの裏の仕事が専門となりました。

甲賀流は近江甲賀郡(滋賀県南東部)に発生した忍者の流派

甲賀忍者の実力者では、望月氏が知られます。伝説によると、その始祖の望月三郎兼家は信濃(長野県)出身で、平安時代に「平将門の乱(939〜940)」頃の鎮圧での手柄によって甲賀の里を治めるようになったといわれます。

伊賀流と甲賀流は最も古い忍術流派ですが、実は、伊賀の里と甲賀の里は 隣接していて、古代には「甲伊一国」とひとまとめに呼ばれる地域でした。

同地は、険しい山中にあるため、古くからゲリラ的な兵法などが発達していたこと、朝廷の成立以来、おそらく日本の中心地だった近畿地方にあったことなどが合わさり、戦乱のたびに諜報活動や暗殺、奇襲などの任務に活用され、しだいに忍術流派の形をもつようになったと伝えられています。

さらにこの土地は、昔から政変に破れて落ち延びた者たちの隠れ先になっていたらしい。彼らが忍者に与えた影響も強くあるでしょう。

日本中にひしめく忍者集団

このほか、戦乱の時代を通じて、地方の戦国武将が独自に組織した忍者集団や、自然発生的な流派など、日本の各地で数多くの流派、忍者集団が生まれています。

たとえば、戦国時代の東北の武将、伊達氏は「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」という忍者集団を従えていました。これは、足に巻きつけていた思い革(脚絆)がトレードマークだったという。

戦国期の甲斐(山梨県)の武将、武田氏は「三ッ者」といい、3つのグル―プに分かれた忍者集団を持っていました。この武田氏の宿敵だった越後(現・新潟)の武将、上杉氏は「軒猿(のきざる)」という忍者集団を使ったという。しかしこれらの名は、単なる集団名であって、結局は、伊賀や甲賀の忍者が多くを占めていたという。

東国では、相州(神奈川県)の風間村を根城とした「風魔党」が有名です。

彼らは、鎌倉の武将、北条氏に仕えた「乱破(らっぱ)」と言われる存在です。戦国時代の最末期に北条氏が滅亡して以降は、一時消息不明となるが、江戸初期には盗賊として江戸の町を荒らすやっかいな集団として恐れられました。その当主は代々、風間(風魔)小太郎を名乗っていることで知られています。

紀州(和歌山県)では、「根来衆(ねごろしゅう)」と「雑賀衆(さいがしゅう)」がよく知られています。

根来衆は、真言宗根来寺の僧兵で火縄銃を使う集団に由来するが、のちには徳川幕府にも仕えました。

雑衆も同じく火縄銃で武装した傭典集団で、山中に潜んでの狙撃など、ゲリラ的な戦關方法を得意としたことで、忍者のょぅな集団として語られています。

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