日本語の語源をたどっていくと、動物の仕草や様相に例えた言葉がたくさんあります。
それらのどの言葉にも、昔の日本人が持つ独特でユニークな感性にあふれています。
由来を知ると、当時の日本人の暮らしぶりが垣間見えるような気になってきます。
「餞(はなむけ)」は「馬の鼻向け」のこと
結婚式や卒業式の祝辞の結びに、「これをもって餞の言葉とさせていただきます」という言葉をよく聞きます。
この「餞」という言葉は、「馬の鼻向け」の略というのはご存じでしょうか。
その昔、旅立つ人に別れを惜しみ、餞別として品物やら金品やら、詩歌などを贈った後に、馬の鼻を進行方向に向けて、見送ったことに由来します。
乗り物や通信インフラが整った現代とちがって、昔の旅は今生の別れになるやもしれなかった。
だから「別れ」の意味が、現代よりもずっと重い意味を持っていたのです。
松尾芭蕉が元禄二年、『奥の細道』へと旅立つ際にも「むつまじき限りはよひよりつどひて、舟に乗りて送る」というところがあります。これは親しい人々はみな前の晩から集まって、共に船に乗って送ってくれたという意味です。
そして、その日にようやく草加の宿にたどり着いたが、「痩骨の肩に掛かれる物まづ苦しむ」とあります。出立の際には体ひとつでと思って、最小限の荷物で出たが、それにしても餞にもらった品々が重い。
「さりがたき(辞退しにくい)はなむけ(餞別)などしたるは、さすがに打ち捨てがたくて路次(道中)のわずらひ(やっかいもの)となれるこそわりなけれ(何とも致しかたのないことだ)」と記しています。
餞の品に欲しい物なし、という気持ちは昔もいまも変わらないのかもしれません。
「虹」がヘビに見えた古代人
中国の伝説では、虹は大空にかかる竜の一種とされているそうです。古代の日本人は、虹を大きな蛇だと思っていました。
言語学者の金田一春彦氏によれば、これを明らかにしたのは、柳田国男・宮良当壮(みやながまさもり)・橘正一などの方言学者たちです。
虹の古名は、「のじ」「ぬじ」といいます。
「のじ」は上代東国の方言で、『万葉集』に「伊香保ろの八尺の堰塞に立つ虹の顕(あらは)ろまでもさ寝をさ寝てば」というのがあります。
標準語でこそ「にじ」といいますが、地方では「のじ」「ぬじ」とも「ねじ」ともいうそうです。
また、「にじ」は漢字で「虹」と書きます。この漢字をよく見ると虫ヘンです。「虫」は元来ヘビの象形からきた文字であるということも裏付けとして述べられています。
「ねこ」は、よく寝るから「寝子」?
「ねこ」は「猫」と書くが、その音読みが「びょう(=みやお)」だから、鳴き声と合うというのでこの漢字を当てたそうです。
それでは、「ねこ」の語源はというと、やはり鳴き声に接尾語の「こ」を添えたもの、とする説が有力です。
しかし、ミャア、ニャーゴ、ネウ、ニャウと、いろいろ、それらしき鳴き声を並べてみると、鳴き声語源説は、こじつけが強いようにも思う。
ちなみに、『柳多留』に「猫の聾色で逐ってる不精者」とあるが、この男、いったい、どんな聾色を使ったものだろう。
猫科の動物は、もともとは夜行性で夜に活動します。
だから昼間はほとんど寝ていることが多い。
その様子を見て、よく寝るから「寝子=ねこ」と言ったのではないでしょうか。
「おてんば」と「じゃじゃ馬」、語源の共通点
シェイクスピアの『The training of the Shrew』を坪内道遥が『じゃじゃ馬馴らし』と名訳して以来広まったのが「じゃじゃ馬」という言葉。
原題は直訳すると「口やかましい女の調教」といった意味になrります。
この「じゃじゃ馬」は、もともとは「はね馬、あばれ馬、あばれ者、あばずれ女」の意味で使われていたが、時を経て「わがままで扱いにくい女、利かん気のおてんば娘」の意味で使われるようになりました。
この「じゃじゃ馬」と同じような使われ方をする言葉に「おてんば」があります。
こちらの語源も馬に由来します。
江戸時代、将軍家の御用品を運ぶ馬を御伝馬といいました。そのイキのいいさまから、御しがたいはねっ返り女を「おてんば」と呼ぶようになったそうです。