穏やかな春が過ぎて、梅雨が明ける頃、夏から秋にかけての大きなお祭りが各地で催されます。京都の祇園祭などはその代表例ですが、日本の夏は昔から疫病が流行ったり、天災などの自然災害に見舞われたりと何かと災いの多い季節。
だから神に祈る鎮守の意味を持った祭りが、よく行われるのかもしれません。
そしてそんな大きな祭りだけではなく、私たちの暮らしの中に密着した夏の祭りもあります。
大祓・夏越の祓い(6月30日)
祓いは神道の基本となるものです。
12月の大晦日の大祓を「年越しの祓い」というのに対し、2月の大祓は特に重視されました。6月の晦日(30日)の大祓を「夏越の祓い」という。
平安時代には、大内裏の朱雀門で百官万民の罪を祓う祭事が行なわれました。
今日でも数多くの神社で夏越の祓いが営まれています。
境内で「茅の輪くぐりの祭事」などが行なわれています。
茅で作られ人がくぐれるぐらいの大きな輪を鳥居の下や境内に置き、その下を手順に沿ってくぐると罪ケガレが祓われるとされています。
また、神社から配られた人形に名前と年齢を書き、それで身体をこすってケガレを移し神社に奉納する形式もあるそうです。その人形は水に流すのが基本。京都の賀茂神社、大阪の住吉神社、東京の日枝神社、埼玉の氷川神社の夏越の祓いは名高い。
民間でも、この日に川や海の水を浴びて楔祓いをする行事が広く行なわれている。
牛馬まで洗うところもあります。その他、井戸汝えをするなど水に関連した行事が多いのも特長です。
さらに12月に大掃除をするように、6月にも大掃除をする風習があります。
七夕(7月7日)
日本古来の「棚機女(たなはたつめ)」の信仰と、中国の牽牛(けんぎゆう)星と織女(しょくじょ)星の伝説をもとにした行事が習合したのが、7月7日の七夕の祭り。日本には珍しい星に関する行事です。
七夕には昔から伝わっている伝説があります。
はるか遠くの「常世の国」からやってくる神を待って、聖なる乙女が水辺に作った棚(仮小屋のこと)で機を織り、神の衣を作って迎えた。乙女は一夜神に侍って、翌日神を見送った。この伝説の乙女が「棚機女」であり、これが「たなばた」の語源です。
来臨してくる神を水辺で待つ女が迎えるというパターンは、多くの伝説に見られます。
天孫降臨の神話でも、ニニギノミコトが降臨してきた時、吾田笠狭(薩摩半島)の岬の波打ち際に八尋殿を建てて、木花開邪姫(このはなさくやひめ)が機を織っていた、という話が出てきます。
中国の牽牛・織女の伝説にも機織る女に迎えられるという場面があり、それと融合した形で、七夕の節供が成立したわけです。
古い時代には、実際に選ばれた乙女が棚機女となり、人里離れた水辺の機屋に篭もり、そこを祭場として神を迎え、夜通し祈る行事が行なわれていた。この祭りで重要なことは、翌日、神を送るのに際し、村人が楔をし、神にケガレを持ち去ってもらうことであった。ケガレを祓ってもらうために、棚機女が神を迎えて祀った、ともいえる。
つまり七夕は、罪ケガレを祓い、それを神に託して持ち去ってもらうための祭りなのである。棚機女の行事自体は衰退してしまったが、伝説となって各地に残っている。
七夕には水に関連した行事が多い
七夕の行事には水に関連したものが多く、夏祭りの水神祭りと楔祓いの要素を持ち、夏越の祓いと共通する点も見られます。
この日に女が髪を洗うとよく落ちるとか、女の髪洗いの日、とする所が各地にある。七夕が女性の楔をする日だった名残りだといわれています。
女性に限らず、海水や川の水を浴びることを、七夕の日の重要な行事としている所は多い。
硯洗いの日、井戸渡しの日、膳洗いの日などがあります。
短冊を吊した笹竹は「神の依り代」と考えられるが、これも水に流すのが本来の形です。
人形、馬や牛の形代を流す風習も多い。
青森のねぶた祭りなども、祭りの最後は「ねぶた流し」で(秋田地方では「ねぶり流し」)、睡魔を水に流す祭りです。
東日本では、七夕様の乗る馬として、真菰(まこも)やワラで馬を作る所が多い
「七夕馬」「草刈馬」などと呼ばれ、これを草刈りに連れていき、草を食べさせる真似をして、赤飯を供えたりする地方もあります。門口や庭などに出して置く所もあります。
山形県東田川郡では、ワラ馬を家の裏に出しておき、子どもが松明を持って川岸に行き、「この明かりでござれぇ」と唱え、翌日の夜も松明で送るそうです。
一方、このワラ馬を、盆に帰ってくる先祖の迎え馬としている所も多い。
七夕の日に牛を水辺に連れて行き洗ってやることを「牛の盆」という所もある。
仙台地方では、七夕の笹竹を川や海に流しに行く際に、盆の墓掃除を行なっている。
七月七日は「七日盆」とも呼ばれる盆の行事の開始日
七夕の行事には、水神祭りの楔祓いの要素と、盆祭りの要素が混在しているのです。だから「夏祭り、夏越の祓い、盆」は、それぞれが独立したものではなく、一連の行事であったと考えられます。
現在は、七夕と盆を一連の行事としている所と、はっきり区別している所とがあります。区別している所では、農村行事としての色合いが濃く、この日に「田はめ」の行事をする風習もあるそうです。
これは七夕の神を田の神と理解していることから、そのような風習が生まれたのではないでしょうか。
一方、水神も田に恵みの水をもたらしてくれることから、田の守り神とするのが古い信仰です。
田の神=歳の神=神格化した祖霊という説に従えば、七夕の神もまた、神上がりした先祖ということになります。
八朔とは頼みの日(8月1日)
八朔とは8月朔日の略である。
八朔盆という言葉があるように、かつては8月1日が盆の終わりとされたことから、節目を祝う祭りが行なわれました。
「田実」「田面」「御感」などとも書き、この日は「頼み」の日とされた。稲作が大詰めを迎える時期だったことから、農村では稲の実りを祈願する「作頼み」の祭りが行なわれました。
これが転じて「頼み」の日とされ、世話になっている人、頼みにしている人との結びつきを強めるために挨拶に行き、贈り物をしました。
武家社会では主従関係を強化する日とされ、室町幕府の慣例となった。天正18年(1590年)、徳川家康は江戸城に入城する時、縁起を担いで8月1日に城に入ったので、江戸幕府は八朔を公式な祝日としました。
八朔の祝儀はめでたいもの好きの江戸の人々の間で重視され、さらに広まりました。
そのほか八朔雛、憑人形などといって、子供が産まれた家に人形を送る風習もあります。
風祭り(9月1日)
立春から数えて210日目の日、陽暦の9月1日頃が「210日」です。
ちょうど稲(晩稲)の開花時期に当たりますが、台風に襲われやすい時でもあり、下手をすれば大きな被害になるかもしれない農村では厄日とされ、風害を防除するために村で風祭りが行なわれました。
富山県八尾町の「おわら風の盆」が、風祭りでは有名です。
これは風の災害が起こらないことを祈る行事として「風の盆」という呼び名がつけられ、厄日の風を払い鎮め、五穀豊穣を願います。
「おわら風の盆」は元禄15年(1702年)に始まったとされ、細長い町内を踊りながら練り歩きます。
現在は9月1日(210日)から3日間の祭りでおよそ30万人が訪れるという。
山形県朝日町大谷では、「風神祭」という風祭りがあります。
江戸時代中期より伝えられている祭りで、210日の前日、8月31日の夜に台風による風水害の防止を祈願して神楽獅子という獅子踊りが行なわれます。
風の神に捧げ奉り、風神の荒ぶる行ないを慎んでいただこうという、農民たちの願いが獅子踊りに託されています。
このほか、神社などに籠もって祈祷する、獅子舞やお輝子を奉納する、草刈りガマを高く立てて風を切り払う呪術を行なう、風除けのお札を田畑に立てる、ワラ人形を辻や村境に送って行くなど、土地により色々な方法があり、風の神を祀る所もあります。
いずれも、8月31日の夜か210日の9月1日に行なわれるのが一般的だ。中には八朔(8月1日)に風祭りを行なう地方も見かけられます。