同じ年の仲間が死んだら耳をふさぐ~日本の迷信~

同じ年の仲間が死んだら耳をふさぐ~日本の迷信~

身の回りで「死」に関する出来事に出会うと、その「死」の穢れを避けようとする風習が日本人にはいくつもあります。
「死」にとりつかれないようにと、人は様々な手段で逃れようとしました。
そのひとつが、「同じ年の仲間が死んだら耳をふさぐ」という風習です。

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少し形を変えて全国に伝わる謎の風習

地方によっては、この迷信がいまも信じられているところがあるので、実際に同い年の仲間が死んだと聞いたときに、耳をふさぐ人もいるかもしれません。

このほかにも同じような迷信として、「餅で耳をふさぐ」「餅を耳に押し当ててから川に流す」「耳をふさいだ後でそらまめを妙って盆にのせて近所に配る」などといった風習に変化している地方もあります。

すべての迷信に共通しているのは、「耳をふさぐ」というしぐさが入ることです。

日本人の暮らしに根ずく「共同体意識」が死を連鎖させる

なぜ同じ年の仲間が死んだら、耳をふさぐのでしょうか?

仲間の死を信じたくない、だから聞きたくない・・・と思う気持ちからだろうか? でも「同い年」にこだわる意味は何なのか?

実はこれには、日本社会で営々と築かれてきた「村」単位の共同体意識が関係しています。

日本では、昔から村単位で共同体を形成して生活を送ってきました。

今でいう町内会やマンションの管理組合が、その名残りです。

村の共同体は互いに助け合い、つつがなく暮らしていくことを目的として形成されたものですが、昔の方が今よりもその絆は深かったと考えられます。

この共同体の中では、子ども組、青年団といったように、年齢や役割に応じて集団生活に必要な行事を行っていました。

そのため、同年齢の人の間には、想像以上に強い絆が結ばれていました。

こうした生活基盤の中で、同じ年齢の人が死を迎えたとき、同年齢の仲間に動揺が広がります。

同じ年の人間が死の時を迎えたということは、自分も近々死ぬかもしれないと動揺するのです。

人の死は近しい者の間で連鎖するとよく言われます。死んだ者が寂しさから親しかった者を呼ぶと言われたり、仲間の死がショックで食べ物も喉を通らずに憔悴しきって亡くなってしまったり、精神的に病んで亡くなったりすることもあります。

だから仲間の死を自分の身辺から排除しようとして生まれた風習が、「耳をふさぐ」という仕草になりました。

そしてこの風習には「餅」が盛んに登場します。それは、餅が正月を祝う食べ物であることが関係しています。

つまり、死んだ仲間よりも1歳年上であることを装うために餅を利用したのです。

現代の社会問題にもなっている形を変えた「村の共同体意識」

昔のような村社会は姿を消しても、現代ではSNSを通じた仲間同士の共同体意識が存在しています。インターネット上の村社会(コミュニティ)といえるかもしれません。

同世代で同じような境遇の人の死が伝われば、それが拡散されて衝動的な死を選択するという事件がよくあります。

昔のような小さな村で起きるのではなく、住む地域はバラバラでもSNSというコミュニティ(村)でつながっているから全国で同時多発的に起きるのが特徴です。

「耳をふさぐ」ということは、スマートフォンやパソコンの電源を落とすことです。インターネットの回線を遮断して、仲間の死を遠ざけることが必要なのです。

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