宗教・信仰に関する日本のことわざ

宗教・信仰に関する日本のことわざ

日本人の多くが自分は無宗教だという割には、現世利益を求めて悩みや願い事があると、神様にお願いをします。「困ったときの神頼み」「苦しいときの神頼み」ということわざもでるぐらい無意識のうちに神様への信仰を口にします。日本には古くから仏や神の教えをアレンジしたことわざがたくさんあるのでご紹介いたします。

鰯の頭も信心から

ふだんは安魚として扱われる鰯も、節分の夜には、ヒイラギの枝に頭を刺して、邪気を追い払ったことから、鰯のような安魚でも、信仰しだいでは貴重になると、若干、皮肉を込めて示したもの。

苦しいときの神頼み

日ごろは信仰には無関心なのに、いざ困ったときが来ると、にわかに神に助けを求めて寄進したり、社寺に出かけて祈願することをいう。似たようなことわざに「せつないときの神たたき」というものもある。

釈迦に説法

よくできた人に対して、未熟な人が知ったかぶりをしてお説法すること。「釈迦に説法、孔子に悟道」ともいう。

さわらぬ神にたたりなし

たたりをもたらす鬼神も、寄りつかなければ災厄をこうむることはないことから、危険なこと、よけいなことに手を出したり、加わったりすることを戒めることわざ。「君子、危うきに近寄らず」という言い方もある。

知らぬが仏

いったん知ってしまうと、不愉快なことや文句をいいたくなることもあるので、むしろ知らないでいるほうが仏のように冷静でいられことをいう。「聞かぬが仏」「知らぬが仏、見ぬが神」ともいい、お金があっても盗難や税金などの苦労が耐えないため、かえって幸せだと言う意味で「無いが極楽 知らぬが仏」ということわざもあります。

仏の顔も三度

もともとは「仏の顔も三度撫でれば腹が立つ」という京カルタの言葉。慈悲深い仏様でも、それに甘えて、二度、三度とお顔を撫でれば、さすがに怒りだすということで、他人に頼み事をするにも節度が必要である、ということ。

仏作って魂入れず

物事の最も大切な部分をおろそかにすることを例えた「ことわざ」です。丹精込めて仏を作っても入魂しなければ、それはただの形だけの仏であるということ。見かけだけでなく、その心まで大切にしなければ意味がありません。

縁なき衆生は度難がたし

仏の広大な慈悲をもっても仏縁のない人は救えない。人の言葉を聞き入れない者は救いようがない。

阿弥陀の光も金次第

阿弥陀の利益も寄進した金の多寡で決まるという意味で、すべてのことは金次第でどうにでもなるものだということです。「阿弥陀も銭で光る」「地獄の沙汰(さた)も金次第」とも言います

商人の嘘は神もお許し

商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様も止むを得ないとお許しになるということ。

・過つは人の性、許すは神の心
人は誰でも過ちを犯しやすく、その過ちを許すのは神であるということ。「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。

臆病の神降ろし

臆病な者が神々に祈って加護を求めること。「神降ろし」は巫女などが神霊を呼び招く行為。

御神酒上がらぬ神はない

酒飲みが飲酒することの自己弁護に使う言葉。「御神酒」は、神前に供える酒のこと。神様でさえお酒を召し上がるのだから、人間が酒を飲むのは当たり前だという意から。

怪力乱神を語らず

君子というものは道理にそむいたこと、理性で説明がつかないことは口にしないということ。転じて、不確かなこと、怪しげなことは口にすべきではないということ。「怪力乱神」は、「怪しく不思議なこと」「強い力」「道理を乱すこと」「鬼神」をあわせていったもので、計り知れない不思議な現象や存在のこと。

稼ぐに追い抜く貧乏神

いくら働いても貧しい人は貧乏から抜け出すことができないというたとえ。

神様にも祝詞

わかりきったことでも、黙っていては相手に通じないから、口に出して言うほうがよいというたとえ。いくら神様でも、お祈りの言葉を言わなければ願いは通じないという意から。

神は非礼を受けず

礼にはずれたことを願っても、神は聞き届けてはくれないということ。

神は自ら助くる者を助く

神は、他人に頼らず自ら努力する者を助けて幸せを与えるということ。「神は自ら助くる者を助く」ともいう。

正直の頭に神宿る

正直な人には必ず神の助けがあるということ。

知らぬ神より馴染みの鬼

どんな人間でも、よく知らない人より身近な人のほうが頼りになるというたとえ。知らない神様より、よく知っている鬼のほうがいいという意から。「知らぬ仏より馴染みの鬼」ともいう。

捨てる神あれば拾う神あり

人から見捨てられることもあれば、親切に助けてくれる人もいる。たとえ不運なことがあってもくよくよするなというたとえ。「捨てる神あれば助ける神あり」ともいう。

知恵ない神に知恵付ける

気付かずにいた人に、よけいな入れ知恵をするというたとえ。

仲裁は時の氏神

争い事の時、仲裁をしてくれる人が出て来たら、ありがたい氏神のようなものだから、その仲裁に従うのがよいということ。「挨拶は時の氏神」「時の氏神」ともいう。

時の氏神

ちょうどよい時期に来て喧嘩の仲裁などをしてくれるありがたい人のこと。

所の神様ありがたからず

自分の身近にあり、よく知っているものは、そのありがたみが薄いというたとえ。

人盛んにして神祟らず

人の運勢が盛んな時は、神仏でもこれをとどめることが出来ないということ。

仏千人、神千人

世の中には悪い人間もいるが、仏や神のようなよい人間もたくさんいるということ。

神輿を上げる

座り込んでいた人が立ち上がるたとえ。また行動をおこして仕事にとりかかること。「輿」と「腰」を掛けたことば。

挨拶は時の氏神

「挨拶」は仲裁の意味。争い事の時、仲裁をしてくれる人が出たら、ありがたい氏神のようなものだから、その仲裁に従うのがよいということ。「仲裁は時の氏神」「時の氏神」ともいう。

雪仏の水遊び

自分から災いを招いて身を滅ぼすこと。雪でつくった仏像を水の中に入ればとけることから。同じ意味で「土仏の水遊び」ともいう

餓鬼の断食

あたりまえのことを言い立てて取り繕うこと。

神へも物は申しがら

神に願い事をするには、心を込めるだけではなく、言い方によってご利益が違ってくる意から。何事も心を込めておこなうだけでなく、工夫することが大事だということ。

猿が仏を笑う

利口ぶっている者が、知恵深い者の偉大さがわからずにあざわらうこと。

仏の沙汰は僧が知る

仏のことは僧侶が一番よく知っている意から。その道のことは専門家に任せたほうがよいということ。

天に口なし人を以て言わしむ

天は語ることはないが、天の意志は人の口を通じて告げられるということ。

参らぬ仏に罰は当たらぬ

お参りもしない仏の罰が当たるはずがない意から。何事にも関わりを持たなければ災いを招くこともないこと。

彩ずる仏の鼻を欠く

仏像を作り上げる際に、もう少しよくしようと細かな所まで手を入れ過ぎたため、肝心な鼻を欠いてしまったことから。念を入れ過ぎたために、大事な部分を駄目にしてしまうこと。「彩ずる」は彩色を施して飾ること。

他人の念仏で極楽参り

他人の唱えた念仏のご利益で、自分が極楽へ行こうとする意。人に便乗して利益をはかること。

死にがけの念仏

元気なときは信仰心を忘れているが、死に際になると念仏を唱えて仏にすがること。

三人寄れば文殊の知恵

文殊とは知恵を司る文殊菩薩のことを意味する。特別に頭の良い者でなくても三人集まって相談すれば何か良い知恵が浮かぶものだ、という意味。

朝題目に宵念仏(あさだいもくによいねんぶつ)

朝のうちは日蓮宗の題目である「南無妙法蓮華経」と唱え、夕方になると念仏宗(浄土真宗・時宗など)の念仏「南無阿弥陀仏」と唱えるということで、しっかりした考えを持たない節操のないことのたとえ。

頭剃るより心を剃れ

外見より精神が大切だということを意味しています。これは頭を丸めて見た目だけ僧侶になっても意味がなく、仏道に帰依する心を起こさなければ駄目だということを諭しています。

出雲の神の縁結び

縁結びの神様として一番有名なのは出雲大社で、幸せな結婚を夢見る男女が多数参拝しています。結婚とは出雲大社の神様が男女の縁を結びつけることであり、人間の意志を超えたものであるという意味です。だから、人の意志によってどうにもなるものではない・・・というたとえとして使われることわざです。ちなみに出雲大社は島根県にある神社で、縁結びの神として有名です。

一樹の陰一河の流れも他生の縁(いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)

たまたま出会った知らない者と、同じ木の下で雨宿りしたり、同じ川の水をすくって飲むことがあります。それらは、偶然起きたことではなく前世からの因縁によるものです。だからおろそかにせず、仲良くしたり親切にしたりすべきだという意味を伝えています。
この世のことは前世からの浅からぬ因縁によるものだという仏教の教えに基づくことわざです。

祈らずとても神や守らん

神の加護を得るためには、祈りなどの形式は問題ではありません。行いが正しく心が敬虔であるならば、自然に神に感応し、神助が得られるとの意味です。
このことわざは、菅原道真が伝えた「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」という歌からできたと言われています。

位牌に泥を塗る

「位牌」は死者の法名を記し、仏壇にまつる木の札であることから、祖先の名を汚す・祖先の名誉を傷つけるという意味で使われます。

鰯の頭も信心から

第三者の目からはつまらない物でも、信仰する人にとっては神であり、ありがたく見えるということ。いわしの頭など捨てるようなつまらない物でも、信仰すればありがたく思えるようになってくるということで、信仰心の不思議さをたとえたことわざ。
平安時代の風習で、節分の夜に鰯の頭をひいらぎの枝にさして門口に置くと悪鬼を払うと信じられていたことからこのことわざが生まれました。

縁なき衆生は度し難し

人のことばを聞き入れない人間は、救いようがないことのたとえ。
仏の慈悲をもってしても、仏の教えを聞く機会のない者や聞いても信じない者は仏縁がないので救うのは不可能という意味です。また、人からよい話を聞いたり、忠告を受けたりしても関心を示さない者はどうしようもないということをいいます。

老いては子に従え

年を取ったら自分の主張を抑えて、何事も子どもの意見に従ったほうがうまくいくということ。本来は女性の生き方を教えた仏教のことばです。現在では女性に限定せず、男女ともにつかっています。

親の因果が子に報う

親が悪業を重ねると、罪の報いをその子供が受けることになり苦しむということ。また、罪もないわが子を不幸にさせたくないなら、ただちに悪業をやめよという意味もあります。
「因果」とは、仏教の教えで、現世の不幸は前世のあるいは過去の悪業の報いだという考えです。

以上「宗教・信仰に関する日本のことわざ」でした。

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