衣替えといえば、六月や十月の季節の変わり目に季節にあわせた服に入れ替える生活の行事。
最近では、環境の変化もあり、いつ衣替えをすべきか?そのタイミングが難しくなっています。
平安時代の更衣
平安時代の宮中では、四月一日と十月一日に、現在の衣替えに相当する「更衣」という行事がありました。
当時の貴族は四月一日から九月末日までのあいだは裏のない単衣を着用しました。
そして、十月一日から三月末日までは、綿入りの衣服である袷を用いたそうです。そのために四月一日の更衣は、「綿抜」ともよばれました。
一年に四度の衣替えが常識だった江戸時代
毎年一定の日取りを決めて、夏服と冬服とを使い分けるのは、湿度の高い日本の生活には便利でした。
だから更衣の習俗は、大名などの有力な武家にも広まりました。
江戸幕府では、年に四回の衣替えが行なわれました。これは江戸の町が寒かったために、四月一日から夏服にするのが季節にあわないとされたためです。
幕府では、端午の節句と同日にあたる五月五日から、八月晦日まで夏服が用いられました。
当時の一枚の布からなる夏服は、唯子(かたびら)とよばれます。そして四月一日から五月四日までの期間と、九月一日から九月八日までの期間に、袷(あわせ)が着用されました。
この時代の袷は裏地のついた衣服をさす言葉であり、平安時代の袷のような綿をつめたものではない。
そのため江戸時代には、九月九日から三月末日まで綿入れが用いられました。
このような年四回の衣替えは、冷暖房のない時代の和服で体温を調節するのにもっとも適したものでした。
そして明治時代以降に、洋装にあわせた六月一日と十月一日の衣替えが広まったのです。
このような衣替えは、おのおのが勝手な服装をとるのではなく一定の秩序に沿って、統一された服を着用することによって、一つの職場の人間の連帯感をつよめるためのものでした。