「それは結構」・・・曖昧な表現が示す風俗文化は日本人固有の魅力?

欧米民族から見ると、曖昧な風習文化を持つ日本人には理解しがたい部分があると思います。
また、その否定とも肯定とも取れる曖昧な表現が多い言葉を持つ風習文化に、日本人の魅力を感じるという外国人もいるようです。
日本語には、肯定にも否定にもとれる曖昧な表現が多くあります。
日本人なら誰でも会話中に勘違いをして、恥ずかしい思いをしたことがあるのではないでしょうか。

例えば相手からご馳走になった時、「結構でした」といえば、申し分ないとか、おいしかったですよという意思表示です。
ところが、もう十分ですとか、これ以上はいらないという時にも「結構です」といいます。

日本の有名なことわざに「日光を見ずして結構と言うなかれ」というものがあります。
このことわざは、徳川家康を祀る日光の東照宮の美をほめて、東照宮を見ないうちは建造物を語る資格がない、という意味を表しています。
この場合の「結構と言うなかれ」という表現の「結構」は、「美事」「立派」「素晴らしい」という相手を讃える意味になっています。

徳川家康が眠る日光東照宮

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実は「結構」という言葉は、「組み立て」をほめる言葉として使われたのがはじまり

「それは結構なことです。」と口角をあげて言われたり、手紙に書かれたりすると、「それはとても良い事ですね」という意味なので嬉しくなります。

「それは結構です。」と語尾を強くして言われたりすると、「それはお断りです!」と完全に否定するという意味になるのと、同じ否定でも厚い壁で遮られたような気持ちになります。

「それは結構なものですね」と感嘆して言われると、「こんなに素晴らしいものは見たことが無い」と、ものすごく褒められたような気持ちになります。

このように「結構」という言葉は、日本人が持つ曖昧な風習を表現する大変便利な日本語の代表格です。

そしてその語源をたどると「結構」という日本語は、その字面が表すとおり、構えつくること、組み立てることという意味に関連していることがわかります。
もともと「結構」は、文章や建造物に対して、その組み立てや構築がすぐれていることをほめる言葉でしたが、いつの間にかもっと広い意味で使われる日本語になっています。

喜ばしい、うらやましいという意味で「結構なお日和で」「結構なご身分ですな」と使う。

おとなしい人、好人物をさして、「結構人」ともいう。

お人好しとなると、馬鹿と同じ言葉の意味のことわざに「結構は阿呆のうち、結構は阿呆の唐名」というものもあります。

そして、現代のように、断るときの表現として使われだしたのは、近代になってからだと言われています。

このような曖昧な意味を持つ言葉は、使う時に気をつけたほうがいいかもしれません。

狭い国土と密度の高い社会が育んだ曖昧な風習

どうしてこのような曖昧な意味を持つ日本語が、この国には多いのでしょうか?

厳格さと正確さを求められるビジネスなどの現場でも、便利な言葉としてよく使われます。
日本人が英語を学ぶときに、この「曖昧な意味を持つ言葉」が、英語にはほとんど見当たらないので、なんだか窮屈に感じて苦手とするのかもしれません。

江戸時代に外国から開国を迫られたときも、日本の大名らは曖昧な返答ばかり繰り返して、かえって相手を怒らせてしまうことがありました。

でも日本の狭い国土や密なコミュニティを重視する日本人社会の風習を考えると、できるだけ争いをさけて、穏便にコミュニケーションをとる方が良いと昔から考えられていたのでは無いか?それが曖昧な意味を持つ日本語を生み出したのではないかと思えます。

日本社会というクローズドなコミュニティで生きていくためには、断定的な表現は避けて、やんわりと事を運ぶ必要があります。

昔は「村八分」といって、コミュニティから無視されるという制裁があり、皆それを恐れて自分の主張をするときも、言いたいことをやんわりと表現に十分に配慮して伝えようと努力しました。
それはグローバル社会の中にいる現代でも同じ。本質的には争うことや村八分にされることを嫌う民族であり、それが日本人の魅力を育んだのかもしれません。

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