干支が一巡すると行う還暦祝いの由来

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現在でも多くの家で、還暦の祝いが行なわれています。
それは満60歳の誕生日を特別の日として、満60歳を迎えた人の子供や孫たちがあつまって長寿を祝福する行事。

還暦は、自分の生まれた年と同じ干支の年を再び迎えたことを祝うものです。前に記したように、十干と十二支とを組み合わせた干支は60年でひと回りします。それゆえに、数え年が用いられていたときには、61歳を迎える正月に、還暦祝いが行われました。

もとは、子供や孫が還暦祝いに赤い頭巾と赤いちゃんちゃんこを贈っていました。

しかしいまではその風習はすたれて、その代わりに赤いシャツ、セーターやネクタイ、スカーフが花束とともにプレゼントされるようになりました。

そして還暦祝いに、子供や孫がお金を出し合って還暦を迎えた人を旅行や食事に招待して、これまでの親、祖父母としての心づかいに感謝するというのが今のスタイルです。

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奈良時代にはじまる長寿の祝い

長寿を祝う風習は、奈良時代の貴族社会で起こりました。

当時の中国では、長寿祝いがさかんに行なわれていました。そのために、中国文化にあこがれる日本の知識層が、年の区切りを迎えた者に、詩を贈る中国風の祝宴をはじめました。

そのころの人は短命だったので、数え年の40歳まで生きると、とてもめでたいとされたのです。

そのために、奈良時代には「四十の賀」「五十の賀」「六十の賀」という10年ごとのお祝いが行なわれました。

古代の日本では、生死は運命であり、人間は死後も霊魂として永遠に生きるとする神道的考えがありました。
そのために中国風の不老長寿を尊び、なんとしても生き抜くという発想は日本の社会に根付かなかったのです。

それゆえ長寿の賀は、室町時代ごろまで限られた上流社会だけで行なわれていた行事でした。

そして江戸時代になってはじめて、干支が一巡する還暦を祝う行事がひろく行なわれるようになりました。

還暦を迎えた人は、生まれ直して再び赤ちゃんの心に戻るといわれたことから、赤い服を贈られるようになったのです。

江戸時代には60歳ごろに、仕事を引退する習慣が定着しはじめました。
そのために還暦祝いは、子供や孫たちの、長い間働いてきた人に対する、労いと感謝の気持ちをあらわすものでした。

「私たちを育ててくださってありがとう。これからは私たちが面倒をみる側になりますので、赤ちゃんになったつもりで、責任から解放されて楽しく生きてください」このような感謝の気持ちをこめた行事は、これからも長く受け継ぎたいものです。

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