神明社は各地を明るく照らす「お伊勢さん」

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稲荷神社や八幡神社と同様に伊勢神宮の分社も全国にあります。
西日本より東日本に多く、「お伊勢さん」と呼ばれて地域の人々に親しまれています。
各地の神明社には、天照大神がその地に飛んできたことに由来して神社を創建したという伝承が残っています

目次

神々の頂点に立つ万能の神

神明神社は、天照大神をまつる神社です。
天祖神社、伊勢神社などの名前で天照大神をまつる神社もあるが、それらは神明神社と同じ性格の神社です。

神明神社の総本山にあたるのが、伊勢の内宮です。
皇室と天照大神とのかかわりや、各地の神明神社は主に御師と呼ばれる伊勢の伝道使が起こしたものです。

戦前は、どこの家でも座敷の仏壇のとなりで伊勢神宮のお札がまつられていました。
また、特別の祭りの日には、「天照坐皇御神」の掛軸が飾られました。

終戦後は国家神道にもとづく天皇崇拝からくるそのような習俗はなくなったが、現在でも天照大神を信仰する人は多い。
これは、天照大神を最高神とする『古事記』などの神話の世界観からくるものです。

天照大神は、国土平安をもたらす神とされます。
そして、国土平安つまりすべての人びとが安心して楽しく暮らせることが自分の幸福につながるとする考えにもとづいて天照大神信仰がなされます。
つまり、天照大神をまつれば家内安全、商売繁昌、武運長久、学業成就などのあらゆる御利益が得られるとされるのです。

伊勢信仰がつくる人に優しい社会

戦国動乱のなかで、個人の出世や合戦の勝利などの私的な御利益を神々に求める者が多くなりました。

しかし、江戸時代に入って国内が平和になると、人びとは「自分の損得だけを考えて生きていてよいのだろうか」と考えるようになりました。

そういったときに、伊勢の御師の説教が人びとの心をとらえた。

かれらはこう説いました。「天照大神は太陽の神で、太陽は善人にも悪人にも等しく明るい光を与えてくれます。この太陽のような気持ちをもって世の中をよくしていこう」この考えから、庶民の伊勢信仰がさかんになりました。
かれらは、伊勢講などの組織をつくり、近隣の人びとと連れだってお伊勢参りをして、みんなで仲よく人のためになる生き方をしていこうという決意をもった。
明治以降そのような形のお伊勢参りはみられなくなったが、伊勢信仰の心は、日本人になんらかの形でうけつがれているのでしょう。

独特な社殿の神明造

社殿形式のうち、古い住宅建築を反映しているとされるのが神明造です。

この形は、切妻造、平入りで、屋根に反りはなく、直線的に構成されています。
屋根の上には千木・鰹木があり、各部は塗らない素木でなっています。
この千木は、切妻の合掌部分を構成する材(破風)が屋根を付き抜けてそのまま延びたものです。

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この形式の神社は、伊勢神宮を代表として、伊勢神宮の周辺地域の陣者、伊勢神宮の社領となった地域、あるいは近世に伊勢講が結ばれれるなどして伊勢信仰がさかんになった地域に多く見られます。

明治維新以降は、伊勢神宮には全国の神社の中心的地位が与えられたので、この形式の神社が全国的に建設されました。
弥生時代の建築形式を継承しているといわれます。
伊勢神宮は、定期的に本殿を造りかえる式年遷宮でもよく知られているが、これは持統天皇の時代(在位686~697)に確立した。
この儀式のため伊勢神宮に古い神明造は残っていない。
現在最古のものは、1636年(寛永13)造営の仁科神明社本殿(長野市大町市)です。

以上、神明社は各地を明るく照らす「お伊勢さん」でした。

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