神社の格式の由来と神社本庁の発生

2017年の暮れに富岡八幡宮をめぐる凄惨な事件がありました。この事件で注目を集めたのが「神社本庁」の存在であり、神社の格差です。

神社の中には半ば商業として運営しているところもあるといいます。有名になれば格式があがり、奉納金も増えて儲けがでて他の事業に投資もできると考える宮司もいるかもしれません。

その宮司を決めるは、神社本庁。

しかし何を基準にして決められているのか、全く不透明でブラックボックス化しています。

そもそも神社に格式やランク付けが必要なのでしょうか?

天皇家と国家公認の神社とは?

神社には格、ランクがあると聞くと、とても奇妙な感じがしますが、神様にも間違いなくランクがあります。

神道祭祀のトップに天皇家がかかわっている以上、ランクも天皇家との距離に準じて決められています。古くはとても曖昧なランク付けだったのですが、明治時代になってから激しくかつ厳密に行われました。

はじまりは明治4年、太政官布告が出され、日本中の神社の格が決められました。

まず、国が経営する直轄の神社を官社、それ以外を諸社と呼びました。

今でも大きな神社に行くと石柱などに「国幣中社」などの文字を見ることがあります。

このときのランクでは官社が官幣大社、官幣中社、官幣小社、国幣大社、国幣中社、国幣小社に、諸社が府社、齡社、歡社、郷社、村社に、という具合に12に格づけされたのです。

また、天皇家の祖先神であるアマテラスを祀った伊勢神宮は、どこにも入らない別格扱いとされた。

官幣社は神祇官が、国幣社は地方官が祀る神社です。

とくに官幣社の場合、天皇や皇族など天皇家にゆかりのある神社が選ばれました。

そのため前者は皇室から、後者が国から幣帛料(へいはくりょう)が与えられる仕組みになっていましたが、それ以外の部分ではほとんど差はなかったといわれています。

だからこれらはいずれも、天皇家と国家公認の神社ということになります。

律令時代から社格は存在した

明治政府がこのように神社の格づけを厳格に行った背景には、明治維新に始まる一連の国家神道政策でした。

神道を国教化して、日本人の精神的支柱にするための手段として格付けをおこなったといいます

神宮に次ぐ高位の神社という意味の「官国幣社」という言葉自体、7世紀後半の律令時代に始められたもので、『延喜式』に掲載された神祇官神名帳には、全国2861の神社が掲載されていますが、これらはすべて官社(官幣社・国幣社)と呼ばれていました。

また、『延喜式』に載ってか神社を「式内社」と呼び、それ以外の神社を「式外社」と呼ぶことで明確に区別してきたのです。

『延喜式』というのは、延喜年間(10世紀前半)の、律令を補足した細則のようなもの。

当時の政治的なことに関するあらゆる情報が網羅された辞典のようになっています。

神社本庁の発生

その他にも、ある地方における神社の規模や大きさから、一宮、二宮、三宮、四宮という社格も生まれてきました。

それらの元締めとして、ここを詣でれば国内全ての神社を詣でたのと同じ霊験を受けることができるとされた神社や、神社の規模そのものによって大社、中社、小社と分けることも行われました。

もうひとつ、「正一位」などの位もよく見かけます。これは人間世界の貴族のランク付けとまったく同じ発想のもので、神様にも人間と同様に「位階」が与えられた結果です(これを「神階」という)。

実際に神社を訪れてみると、社格の高い神社ほど壮大で、いかにも霊験あらたかに思えてくるから不思議です。神社やその霊域から人間が感じ取る格式.威厳には、昔も今もそう大差はないのかもしれません。

ちなみに明治4年の太政官布告は第2次世界大戦の敗戦によってすベて廃止され、現在ではそういった「社格」は存在しないことになっています。

そのため、全国の神社は宗教団体である「神社本庁」が結成されました。

伊勢神宮を「本宗」とする神道宣布の団体として、活動を新たにするようになりました。

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