自暴自棄とは?偉人も奇行に走る

自暴自棄とは?偉人も奇行に走る

もう、いやだーっ!と「自暴自棄」とは、失望や挫折などの感情が原因で、自分自身や自分の人生に対して無力感や希望を失い、何もかも投げ出してしまうことを指します。
つまり、自分を見失ってしまい、自分自身に対しても否定的な感情を抱くことで、行動力を失ってしまう状態を表します。このような状態に陥ると、問題を解決することができなくなったり、自分自身の可能性を見いだせなくなったりするため、何もかもうまくいかない負のスパイラルに陥ることがあります。

目次

自己否定からはじまる奇行

「自暴自棄」になる人は、自分自身や自分の人生に対して否定的な感情を抱いてしまいます。そのときには日頃の人物を知る人からは想像できないような行動をして、周りを困惑させることがあります。

【何もかも諦めてしまう】
何をやっても無駄だと思い、何もかも投げ出してしまいます。

【自分自身を責める】
自分に対して否定的な感情を抱き、自分自身を責めることがあります。自分に対して悪い印象しか持たなくなり、自分に対する自信を失います。

【他人に攻撃的になる】
自暴自棄になっている人は、他人に攻撃的になることがあります。自分自身が落ち込んでいるため、他人に八つ当たりをしてしまい、人間関係が悪化することがあります。

【アルコールやドラッグなどに走る】
現実から逃避するために、アルコールやドラッグなどに走ることがあります。

【自分自身を傷つける】
自分自身を傷つけることで、自分の感情を紛らわせることがあります。自傷行為や食欲不振、睡眠障害などが代表的な例です。

以上のように、自暴自棄になってしまうと、自分自身や周りの人々に悪影響を及ぼすことがあります。早めに心のケアをすることが大切です。

自暴自棄の言葉の由来

「自暴自棄」の「暴(あば)く」とは、物事を荒っぽく扱ったり乱暴に処理することで、ここから「自分自身を荒れ果てさせる」という意味がみてとれます。また、「自暴」と「自棄」という同じような意味の言葉を合わせることで、制御できいなほどに荒れた心情を表しています。

「自暴自棄」という言葉がいつから使われたのか?という起源については諸説ありますが、中国の儒学者 孟子の語った言葉に由来するといわれています。

「自暴者、不可与有言也、自棄者、不可与有為也、言非礼義、謂之自暴也、吾身不能居仁由義、謂之自棄也」〜自分を駄目にする人間と共に語ることはできず、自分を捨てるような人間とは共に何かをすることはできない。そのような言葉でもって礼儀を軽んじるものを自爆と言い、己の身を仁の中に置くことができず、また義に反するものを自棄という。

孟子は「己という人間を軽んじるな」と説いた。これが自暴自棄の言葉の起源なのです。

「やけになる」という言葉との違いは?

「自暴自棄」と「やけになる」という言葉は、似たような状態を表現する言葉ではありますが、微妙な違いがあります。

「自暴自棄」とは、失望や挫折などの感情が原因で、自分自身や自分の人生に対して無力感や希望を失い、何もかも投げ出してしまうことを指します。つまり、自分を見失ってしまい、自分自身に対しても否定的な感情を抱くことで、行動力を失ってしまう状態を表します。

「やけになる」とは、緊張やストレス、焦りなどから、一時的に冷静な判断力を失い、混乱したり、思い切りの悪い行動をしてしまうことを指します。つまり、物事がうまくいかず、焦ってしまっている状態で、冷静さを失って行動してしまうことを表します。

つまり、「自暴自棄」とは、長期間にわたって自分自身を否定的に見ることで、行動力を失ってしまう状態を表す言葉であり、「やけになる」とは、短期的なストレスやプレッシャーが原因で、思考や行動が乱れる状態を表す言葉です。

他にも「悲観」は良くない結果を予測して気を落とす意味で、これから起きることに対して気持ちが塞ぎ込んでいる状態をいう。「捨て鉢」は「やけになる」状態に加えて結果を好転させる自信がない状態をいう。

自暴自棄になって滅亡した日本史上の人物といえば

後醍醐天皇
南北朝時代の初め、1331年に挙兵した後醍醐天皇は、最初は優位に戦況を進めていましたが、次第に軍勢が疲弊し、敗色が濃くなっていくと、自暴自棄になって戦意を喪失。最終的に捕縛され、隠岐島に流されました。

足利義教
室町時代を代表する暴君といえば足利義教。恐怖政治を敷いた悪人ともいわれ、その強権的な政治手法は周囲の反感を呼び、大名に謀殺された。

織田信長(一説による)
織田信長は、天正10年(1582年)に1起きた本能寺の変で、明智光秀に襲撃されて自害するまでの数日間、自暴自棄になっていたという説があります。信長は窮地に陥ったことで、自分自身を責めたり、周囲の人々に対して怒りをぶつけたりし、混乱した状態に陥ったとされています。

以上のように、自暴自棄になって滅亡した人物は、自分自身を見失ってしまったことで、周囲の人々に不利益をもたらし、最終的に自滅してしまったという共通点があります。

自暴自棄から立ち直る秘訣は

自暴自棄から立ち直るための秘訣は、人それぞれ異なりますが、以下のようなアドバイスが挙げられます。

自分を許すこと

自暴自棄になる原因の一つに、自分自身に対して過度な責任感や自己評価があることがあります。まずは、自分を許すことが大切です。自分の失敗や不幸は、必ずしも自分自身の責任ではないことがあることを認め、自分を責めすぎないようにしましょう。

支えになる人を探すこと

自暴自棄になったとき、自分自身だけでは立ち直れないことがあります。支えになる人を探し、話を聞いてもらうことで、自分を取り戻すきっかけになることがあります。また、支えになる人がいない場合は、専門家の助けを借りることも考えましょう。

目標を持つこと

自暴自棄になったとき、将来に希望を持てなくなることがあります。そんなときは、小さな目標を持ち、それを達成することで自信を取り戻すことができます。自分にとって意味のある目標を持つことで、前向きに行動することができるようになります。

ポジティブな考え方をすること

自暴自棄になると、ネガティブな考え方に陥りがちです。そんなときは、意識的にポジティブな考え方をするようにしましょう。例えば、「できなかったことよりも、今後やるべきことがある」というような言葉を自分にかけることで、前向きに考えることができます。

以上のようなアドバイスを参考にし、自暴自棄から立ち直ることができるようになりましょう。

自暴自棄になった西郷隆盛の話

西郷隆盛

西郷隆盛は、明治維新の中心人物の一人であり、薩摩藩の重鎮でした。しかし、明治5年に発生した西南戦争では敗北し、西郷自身も自暴自棄に陥ってしまいました。

西郷は戦争に敗れた後、自宅に籠もってしまい、食事を摂らなくなり、髪を切り落とすなどの奇行を繰り返しました。周囲の人々は心配し、医者を呼んで治療を試みましたが、西郷は拒否しました。

しかし、ある時、西郷は隠居していた旧友の家を訪ねました。そこで、かつて自分が教育した若者たちが、自分を待っていることを知り、自分の存在が必要だという気持ちが芽生えました。

そして、西郷は自暴自棄から立ち直り、若者たちを指導し、政治的活動を行いました。その結果、西南戦争の敗北からわずか1年後には、政治家として復帰し、日本の近代化に尽力することとなりました。

西郷隆盛の場合、自分が教育した若者たちの存在が、自暴自棄から立ち直るきっかけとなったようです。また、西郷自身も長年にわたり、自分が信じる理念に基づいて政治活動を行ってきたことが、彼を支えた一因となったでしょう。

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