出雲神話が語る大国主命が天皇になれなかった理由とは?

出雲を中心とした神話で「出雲神話」というものがあります。『古事記』と『日本書紀』ならびに『出雲国風土記』に描かれた、出雲地方の神話です。その主役は大国主命(オオクニヌシノミコト)です。

大国主命がわからないという人には、紙芝居や絵本にもなっている「因幡の白兎」のお話といえば、心当たりがある人も多いのではないでしょうか?

ここでは大国主命について、少し学んでみましょう。

目次

大国主命(オオクニヌシ)のプロフィール

大国主命は、出雲大社の祭神であり、縁結びの神として知られています。

それだけでなく、医療の神、農業の神としても信仰されており、さらには仏教の大黒天と混同され、大黒様としても人気があります。あるいは、絵本にもなっている「因幡の白ウサギ」の主人公といえば知っている人も多いのではないでしょうか。

そしてこの神は、須佐之男(スサノヲ)の子孫でもあります。その意味では、天照大神(アマテラス)の子孫である天皇家と親類であり、「同格」といっていい存在なのです。

しかも大国主命は、『古事記』や『日本書紀』では、日本の国土を作りあげた葦原中国(アシハラノナカツクニ)の王として描かれています。つまり、アマテラスの子孫である鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)が地上に降りてくるまで、実質的な地上世界の盟主だったのです。

では、なぜ大国主命は天皇にならなかった(なれなかった)のでしょう?天皇家と大国主命は、どこが違ったのでしょう。

どうもそこには、壮絶な戦いがあったらしいのです。

出雲王朝VS大和朝廷軍の親権闘争

アマテラスは、天孫降臨以前にも自らの子供に日本列島を治めさせようとしたことがありました。ところが地上を見ると、どうも荒れすさぶ神が多い。そこでまず、武神たちによって地上を平定させようとします。

このとき、地上の王として君臨していたのが、大国主命なのです。

しかもこの大国主命は、スサノヲの血を引くだけに、なかなかの実力者でした。

だから最初に遣わされた神は、大国主命に恭順してしまい、3年たっても帰ってこなかった。次に送られた神は大国主命の娘と結婚し、地上の王になろうとする始末です。

業を煮やした天照は、いよいよ高天原最強の武神を送りこむ決意を固めます。

それが天鳥船(アマノトリフネ)を従えた武甕槌大神(タケミカズチ)です。この神は大国主命に国を譲るように直談判を行いますが、大国主命は即答を拒否。ふたりの息子に返事をさせると答えます。

息子のひとり、事代主神(コトシロヌシ)はあっさりと国を譲ると答えましたが、建御名方は力比べで決めようと、武甕槌に戦いを挑みます。ところが建御名方は、武甕槌の剛力によって腕をもがれてしまう。恐れおののいた建御名方は逃げだすが、ついに信濃国の州羽の海(諏訪湖)に追い詰められ、二度とこの地から出ないと誓わされ、許されました。これが現在の諏訪大社になりました。

息子たちの敗北を確認した大国主命は、天に届くような壮大な御殿を建て、そこに隠遁すると約束(この社が現在の出雲大社)。こうして地上はついに、天照の手に落ちたのです。

このように伝承された古事記の物語を読めば、書かれている内容は一目瞭然です。

地上の支配者だった大国主命軍(出雲王朝)は、アマテラスの系譜の天皇家軍(大和朝廷軍)と国を賭けて戦い、敗北したのです。

出雲大社は大国主命の幽閉施設だった

天照大神と大国主命の戦いは、古代の国家どうしによる覇権争いです。

当時の大和朝廷軍にとって出雲王朝は、「地上世界の中心」として描かれています。

つまり、征服するにふさわしい一大国家だったというわけです。

実際に出雲の荒神谷遺跡から大量の銅剣が出土 (1984年)するなど、この地方に大和に対抗するだけの文化圏が成立していた可能性は高いと言われています。

ちなみに出雲大社の社殿は、日本の木造建築物のなかではケタ違いのサイズを誇っていたことがわかっています。

1744年の建造である現在の建物でも高さ約24メートルという大きさで、社伝によると建設当初はその4倍、100メートル近い超高層建造物だったといわれます。

ただの計算では、その半分の50メートル弱なら建築は可能という結論が出されています。おそらく当時は、そのくらいの偉容を誇っていたのでしょう。

因幡の白兎の物語

出雲の国に大黒様(大国主命)という神様がいました。 その神様は大勢の兄弟があり、中でも一番心の優しい神様でした。

兄弟の神様たちは、因幡の国に八上比売(やかみひめ)という美しい姫がいるという噂を聞き、みんなで会いに行こうと決められました。 大黒様は兄弟達の家来のように大きな袋を背負わされ、一番後からついていくことになりました。

兄弟たちが因幡の国の気多の岬を通りかかったとき、体の皮を剥かれて泣いている一匹の白兎を見つけました。

兄弟たちはその白兎に意地悪をして、「海水を浴びて風にあたるとよい」と嘘をつきました。

その白兎は騙されていることも知らずに、言われるまま海に飛び込み、風当たりのよい丘の上で風に吹かれていました。

すると海水が乾いて、傷がヒリヒリと酷く痛みだしました。

「痛い、痛い」と前よりも苦しくなって泣いている白兎のところに、後からきた大黒様が通りかかり、その白兎を見て「どうして泣いているのかな?」と理由を聞きました。

その白兎は言いました。

「私は隠岐の島に住んでいたのですが、一度この国に渡ってみたいと 思って、泳がないで渡る方法を考えていました。するとそこにワニ(サメ)がきたので、私は彼らを利用しようと考えました。

私は、ワニに自分の仲間とどっちが多いか比べっこしようと話をもちかけました。

ワニたちは私の言うとおりに背中を並べはじめて、私は数を数えるふりをしながら、向こう岸まで渡っていきました。

しかし、もう少しというところで、私はうまく騙せたことが嬉しくなって、つい、騙したことを言ってしまいワニを怒らせてしまいました。 その仕返しに私はワニに皮を剥かれてしまったのです。

それから、私が痛くて泣いていると先ほどの神様たちが、私に海に浸かって風で乾かすとよいと言われたので、そのとおりにしたら前よりもっと痛くなったのです。

大黒様はそれを聞いてその白兎に言いました。

「かわいそうに、すぐに真水で体を洗い、それから蒲(がま)の花を摘んできて、その上に寝転ぶといい。」

そして白兎は川に浸かり、集めた蒲の花のうえに、静かに寝転びました。

すると白兎の身体から毛が生えはじめ、すっかり元のしろ白兎に戻りました。

そのあと、ずい分遅れて大黒様は因幡の国につかれましたが、八上比売(やかみひめ)が求められたのは、大黒様でした。

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