絶滅危惧種に登録されて間もない鰻は、日本人にとって欠かせない食材です。
四季の環境変化が大きい日本人は、季節の変わり目に体調を崩したりしないように、滋養強壮の栄養価の高い鰻を食べる習慣があります。
それが土用の丑の日に鰻を食べる習慣ですが、これはいつ頃からはじまったのでしょうか?
土用丑に鰻を食べ始めたのは誰か?
鰻はビタミンAやビタミンB群が豊富に含まれて、さらに鰻に含まれる油が良質で、血行がよくなる効果があるといわれています。
だから「土用の丑の日に鰻を食べると、健康になる」と言われるゆえんです。
土用の丑の日が近くなると、日本各地で蒲焼き・白焼きなどの鰻料理の大売り出しをします。
近年は、数の減少から価格が高騰していますが、それでも土用丑の日は特別で、みんなが買い求めます。
この土用丑の風習は、江戸時代に広まりました。土用丑の日は、年によって異なり、旧暦では、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日または19日間が土用とされています。
土用丑は、このなかの立秋前の夏の土用になります。
「夏の土用のなかの十二支」の丑の日が、土用丑です。
土用が18日または19日間であり、十二支が一二日で一巡します。そのため、土用丑が二度ある年と、土用丑が一度だけの年があります。
そして、この風習を日本に広めた人物がいます。
江戸時代の高名な本草学者で戯作者、平賀源内が土用丑の鰻を広めたといわれています。
当時、鰻屋の宣伝を頼まれた源内は、「人びとが土用丑に鰻を食べるようにすればよい」と考えました。
そして鰻屋に「土用は丑の日」という看板を掲げさせて「土用丑の鰻は健康によい」という話を広めさせたのです。
土用丑と陰陽五行説
江戸中期の博物学者・作家・画家・陶芸家・発明家、あらゆる分野に才能を発揮した日本のダ・ビンチとも言われる「平賀源内」が広めた土用丑の鰻は、単に集客目的の宣伝が理由で広めたのではありません。
この新しい風習は、当時の知識人のあいだに広まっていた陰陽五行説の理にかなったものだったのです。
もっとも暑気の激しい土用の時期に、体調を崩す者も多い。そして陰陽五行説では、暑さのもとになる「火」の力を用いるには、「火」の苦手とする「水」を用いるとよいとされました。
真夏に水浴びすると、暑気に痛めつけられた体が元気になるというのも、この「水克火(水は火に強い)」の考えです。
そして「水」の色は黒とされていました。
鰻は水中に住み黒い体です。
だから「水の性質」を持ち、鰻を食べると、暑気を克服できるとされました。
平賀源内の時代以前から、「土用の丑の日に体をこわしやすいので健康に気をつけるように」といわれていました。そのために、土用丑の日に薬湯に入る習俗などもありました。
平賀源内はそういった通説をふまえて、陰陽五行説にもとづく健康法を広めることにしたのです。
実際に、鰻料理には暑気による体の疲れに効く成分がいくつか含まれています。鰻が夏バテに効くのは、確かです。