「どうぞ」「ありがとう」「失礼します」の三つがよい人間関係の要

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人間関係を円滑にする作法の基本は、相手を敬う姿勢と意識に尽きます。
しかし日本人は、そういう気持ちを直接言葉で伝えることが苦手です。
もし良好な人間関係を築きたい、誰からも好まれるような人になりたいと思うなら、敬う気持ちを言葉に表すことが必要です。

目次

「どうぞ」「ありがとう」「失礼します」は人づきあいの基本

敬う気持ちをきちんと言葉で表わすことが良好な人間関係の要です。

地位や立場が上になるほど、つい他人への気づかいを忘れてしまう人がいます。
また倣憎になってしまう人もいます。

しかし、実際には、上になるほど、ほんのささいなことでも感謝やお詫びの言葉を口にすることほど大切なことはありません。
言葉にしなくても、相手はわかってくれると思っている人も多いかもしれません。

しかし、自分だけの尺度で判断したり、理解したり、また行動しても、よその国の人には通用しないと考えてください。
相手の目を見て「おはようございます」と、明るくあいさつをすることは、人とのおつき合いにおける基本中の基本です。

目は心の窓という言葉もあるくらいですから、目をそらすと相手は妙な感じがするものです。
「自分は嫌われているのか」「この人は何かやましいことがあるのか」。
そう思うのが一般的な感覚です。

本当に大切な特別な人に感謝の気持ちを表したいなら、その機会は1年に1回あります。
それは誕生日のお祝いです。
生まれたことを喜んでくれる人がいるというのは、誰にとっても嬉しいことです。

誕生日を祝う習慣って江戸時代以前からありました

日本では、古来より数え年で年齢を計算していました。
これは生まれた年を1歳として、誕生日にかかわらず新年元日を迎えるたびに年齢を加算するものです。
したがって、年をとったことを祝うなら正月であり、誕生日だからといってそれを祝う特別な習慣はなかったようです。

日本で満年齢が導入されたのは明治35年(1902年)12月22日に、「年齢計算ニ関スル法律」(明治35年12月2日法律第50号)が施行されてからのことです。なかなか広く一般に普及しなかったため、改めて昭和25年(1950年)1月1日に「年齢のとなえ方に関する法律」(昭和24年5月24日法律第96号)を施行しています。

だから現在のような誕生日を祝う習慣ができたのは、早くても昭和25年(1950年)以降のことでしょう。

ただし、誕生日を祝う習慣がないとはいえ、ある程度の家柄であれば、誰がいつ誕生したかという記録を残しています。
それに歴史を担った人物に対して誕生日や命日に祭礼が行われたりしているので、誕生日や記念日という概念があったと思われます。
だから庶民の中にも、誕生日を祝う習慣があってもおかしくはないでしょう。

一般的には昔の日本の社会における個人のありかたなどの文化的な理由から、みんなそろって元日に年をとる数え年が普通で、あえて個人の誕生日を祝う習慣がなかったに過ぎないと考えられます。

以上、「どうぞ」「ありがとう」「失礼します」の三つがよい人間関係の要でした。

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