人間関係は挨拶で始まり、挨拶で終わると言っても過言ではありません。
挨拶は、もともと仏教用語で、禅宗用語でした。僧たちが質問をしあうことで、お互いの悟りの深さを測る行為。
そこから、お互いの心を押して開くという意味になり、庶民にも広がり、会ったときに交わす儀礼的な言葉や態度を指すようになりました。
朝の挨拶おはようございます、には「おはやくから動いていらっしゃって、せいが出ますね。」という気持ちを含んでいます。
昼の挨拶こんにちは。「こんにちはご機嫌いかがですか?」
夜の挨拶こんばんは。「今晩はいかがお過ごしですか?」「今晩は冷えますね」などが省略されて挨拶言葉となりました。
別れ際のさようなら、は元々は「さようならば、おいとまします」などの「さようならば」の「ば」が省略されて使われるようになったのです。
笑顔とともに、余韻の残る挨拶をお相手に届けたいものです。
作法の原点
人間のあるところ、人と人との関係があります。人と人との交わりの中心をなすものは「愛」であると考えます。
「愛」の心がお互いの感謝となり、この愛を中心に心言装行の四つの現われ方をするのであり、そこに幸福感も生まれるのです。
この四つはお互いにつながっていますが、中でも行の部分の中心をなすのが作法です。
愛を表現する行いにもきまりがあり、それが、礼儀や作法といわれる、思いやりのある態度や身のこなしです。
見事な装いをしていてもそこに作法がともなわなければ人形にすぎません。そこに人間の心、すなわち愛があってそれを具体的に表現する作法こそ本当の作法です。
ただ、愛を表現する行い、すなわち作法は常に一つの形をとっているのではありません。
TPOに応じて行うものではなくては杓子定規といわれます。
その形は真、行、草(守、破、離)の形をとり、真は形どおり守り、行はこれを応用して表現し、草はこれを離れて自由に表現し、時には反対の形をとることもあります。
しかし、「守りつくして、破るとも離るるとも元をわすれるな」。
一方で、作法は儀式の要素も多く含まれています。神様に対する儀式。
それは、目に見えない力を畏れ(恐れ)敬う精神からきていると考えます。
日本では自然そのものが神です。自然は人間の力では抑えきれないと認識しているからです。自然の力、それは宇宙の力です。そして、その力がないと人類も成り立たない。
したがって、神、自然と共存していくのが日本人の精神なのです。
人間より大きな力を持っている神様に、従順な姿勢を示し、地域や人の平和を願う祈りを表現するのが儀式であり、礼儀です。その儀式や礼儀にも先ほどの心言装行の四つが大事になってきます。
やがて、礼儀は公家社会で礼法として確立され、武家社会になると武家の礼法も確立されるようになりました。
現代では、年長者や目上の人に対する敬う心の表れとして、あるいはお人とのより良いコミュニケーションとして、敬語やマナー、作法が受け継がれています。
日常のマナーのポイント
表情を明るく
顔は自分で見るより、他人に見られる時間が長いです。
人様にお見せするのに、暗い表情は禁物。
平素は笑顔を心がけて。
言葉を正しく
年長者や目上の人、あるいは初めて会った人に、いきなりなれなれしく話すのは失礼になります。「です」「ます」の丁寧語や正しい敬語を話しましょう。また、親しくなっているのに、いつまでも丁寧すぎる言葉も、お相手との距離をいつまでも縮めることができません。
姿勢を良く
良い姿勢でないと、動きが鈍くなり、相手に不信感を与えかねません。また、えらそうに見えたり、暗く見えたりします。
美しい姿勢は美しい動作を起こし、人を美しく見せます。
想像力を養う
お相手やお人が、気持ちよく過ごしてもらうには、どうしたらいいか。
常に相手の気持ちになって考えることが大事です。
それが心配りにつながります。
そのためには、日頃から感性や想像力を磨くことも必要です。