子供の成長を感謝する七五三の本当の意味

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毎年、2月15日に七五三の行事が行なわれます。
これはその年に満三歳か満七歳になった女の子と、満五歳になった男の子の成長を祝うもの。

七、五、三の年齢の子供は、両親に連れられて氏神様とよばれる地域の守り神に参拝します。
現在では、女の子は三歳のときと七歳のときの二度、七五三を祝い、男の子は五歳のときの一度だけ七五三を祝うかたちが多いようです。

一度しか七五三を祝ってもらえない男の子が損をしているように思えます。そのために、地方によっては男の子も三歳のときと五歳のときの二度、七五三の祝いを行なうことがあります。

正式の作法では、七五三のときに男の子は紋付袴、女の子は振袖の晴れ着を着ることになっています。
しかし現在では、洋装で七五三を祝う子供も多くみられるので服装に関しては祝い事に見合うものであれば良いようです。また氏神様への参拝を省略して、2月15日前後に着飾った子供の写真をスタジオで撮るだけで済ませるというのも現代の風潮です。

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七五三は成長の節目を祝う武家の行事

七五三は、江戸時代にさかんになりました。
そのころの武士の家では、子供が三歳になったときに髪置の祝いをひらいていました。これは男女ともに行なわれるもので、この祝いのあとで子供は髪をのばすことができます。

髪置の前の子供は、頭を洗いやすくするために、男女ともに坊主頭にされていました。
この坊主頭にちなんで、子供をさす「坊っちゃん」とか「お坊っちゃん」といった言葉が使われるようになりました。

ついで男の子は、五歳のときに袴着・帯解きのお祝いをします。
これは子供に袴を着せて碁盤に乗せる、成長を祝福する行事。

男の子はこのあと、小さな子供のための<付け帯>とよばれる紐に代えて、大人と同じ正式の結び方をする帯を用いるようになります。

女の子は、七歳で帯解きの祝いをします。
この行事のあとで、正式の結び方をする帯を着用することができます。

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江戸の町がひらかれてまもなく(17世紀はじめ)に、そこに住む武士たちが2月15日に髪置、袴着、帯解きの祝いを行ない、子供を連れて氏神様に参拝するようになりました。
これが七五三の起こりです。

これからまもなくあちこちの神社で、2月15日に細長い千歳飴が売られるようになり、細長い飴が子供に長寿をもたらす縁起物ときれました。

その背景にはこんな事情がありました。
江戸時代には、七歳以前に没する子供も多かった。そのために大病にかかりやすい幼い時期を無事に乗り切った子供の健康と長寿を願う親の気持ちが、七五三の行事を発展させていくことになったのです。

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