高慢で威張っている人を『天狗』といいますが、妖怪の『天狗』もいます。
『天狗』には、大天狗、小天狗がいることをご存じでしょうか?
大天狗はそ山伏に似た姿で、鼻が高く翼があります。
小天狗は、鳥に似て、別名「木の葉天狗」と呼ばれます。
天狗は、中国の書物から伝わったと言われています。
しかし、中国の天狗は雷獣のように描かれているから、日本の天狗とはかなり違います。
そのため日本の天狗は、従来からある妖怪が、日本人の想像力で変化した存在として考えられています。
名称は中国発祥で日本がいただいた感じですが、その姿性格は日本独自のものなのです。
天狗にまつわる物語の起源
天狗が登場する怪談が生まれたのは、およそ千年ほど前のこと。
それから源平時代より足利時代に至るまで、天狗の怪談がたいへん流行しました。
よく知られている話は、源義経が幼少のころ、鞍馬山で僧正坊という天狗にあい、剣術を授かったという怪談です。
山は霊的で不思議な現象が起きやすい
昔から伝わる天狗に関する怪談のほとんどは、人の想像力が生み出したものです。
ただし、私たちの周りには、説明の付かない現象があり、それを天狗の仕業と考える余地も残しておかないといけません。
そもそも天狗という妖怪は、世界に例が無く、日本にしか存在しません。それはなぜでしょうか?
その理由は、日本には比較的、山が多いことに起因しています。
日本全国いずれの山にも、いにしえより神仏を安置して、霊的で不思議なことがよく起きるといわれ、伝説もたくさん残っています。
また、どんなに高い山へも毎年参詣者が登っていて、山上に籠もって修行しています。
どうしてそんな過酷な環境で修行するのかというと、高い山は空気も気候も下界とは全く違って、自然のままの環境の影響で何か眠っていた感性を呼び覚ますからです。
だから非日常的な環境の自然に触れ、耳に入るものが、どこなく奇怪な現象だと思ったに違いありません。
こういうことから、様々な想像が心の中でイメージされ、いわゆる「疑心暗鬼を生ずる」ことで、妄想を現実の物として思い込むようになりました。
それは樹木に止まった鳥を見ても怪物に見えたり、獣が走るのを見ても奇怪に感じてしまい、その結果が山中の怪談を産み、広く世間に伝わったと考えられます。
神仏への畏怖が天狗を生んだ
高い山には神仏の霊験があると強く信じていると、一層奇怪の念が強くなり、山中にて修行している山伏に遇えば、必ず「人間にはあらず」と思い、これにいろいろの妄想を加えて、天狗という妖怪を産みだし、伝説として語られるに至ったに違いない。
昔の絵画などで良く描かれる天狗の姿は山伏に似ており、部分的に鳥や獣に似ているのは、山中での奇異な想像の産物が合体しているからです。
天狗の怪談が下界に伝わると、ひとたびこれを耳にしたものは、山中に入るごとに、天狗に遇うかもしれないと怖がってしまうから、一層山中で迷いやすく、かつ妄想を起こしやすくなります。
諺で「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とあるように、つまらぬものを見て、ただちに天狗だと思うのです。
かくして、地方に天狗の話が伝わるときは、物好きな人が話にいろいろなおまけを付け、針小棒大にいいふらし、また小説家や画工はこれを材料として一層人の注意を引くように繕い、数代の後には実に不可思議な大妖怪となってしまったのです。
また宗教家として修験行者は、民衆を騙す手段として、天狗を利用し、ますます奇怪に奇怪をつけ加えて霊的な信仰を煽りました。
天狗憑
昔は『天狗憑』といわれる病がありました。
この病は狐憑き、狸憑きと同じで、精神病のことをそう例えました。
天狗が空中を飛んだり、雲隠れしたりするというのは、精神に異常を来したときに妄想する現象と似ています。だから天狗に遭遇したことを言い出すと、天狗憑になったと思われたようです。
しかし天狗伝説の中でも、義経が天狗より剣術を授かる話は、義経その人の存在感を高めて、凡人以上に置くための演出なので、それを語っても天狗憑とは言われません。