古都京都には今でも珍しい地名が、市内の中心部でもそのまま使われています。
京都の地名で面白いのは、実に興味深い歴史の時事が地名に反映されているところ。
今回は、映画村で有名な太秦と、納涼床と京都一有名な路地である先斗町の由来を考えてみましょう。
太秦(京都府京都市)今でも東洋のハリウッド!
毎日映画やテレビドラマが撮影されている太秦映画村は、実は渡来人ゆかりの地
「ハリウッド」といえばアメリカにある映画の都のことは有名ですよね。じつは日本にもハリウッドがあるのをご存じですか。
京都市右京区の「太秦」は、主に映画やテレビドラマなど時代劇の撮影などをしている太秦映画村で知られ、東洋のハリウッドとまでうたわれた場所なのです。
今では娯楽施設としても賑わっていますが、かつては、大小の多くの映画会社が、この地に時代劇映画の撮影所をおき、おびただしい数の施設が密集していました。
その後は、日本映画の斜陽とともにかつての活気は失ったものの、現在でも東映京都撮影所の一部が「東映太秦映画村」としてテーマパーク化されるなど、映画ファンから根強い人気を集めています。
昨今のコスプレブームもあり、歴史で活躍するドラマを描いた漫画やアニメの登場人物になりきれるコスプレーヤーの聖地とも呼ばれています。
太秦は技術家集団の秦氏に由来する地名
「太秦」という地名は、この一帯を本拠に発展した渡来人の「秦氏」に由来するとされています。
秦氏は五世紀末頃に、一族のみならず、民衆をたくさん引き連れて朝鮮半島から日本に渡ってきました。
そして、養蚕、機織、さらには土木などの高い技術をもっていたことから、朝廷に重用されるようになりました。
聖徳太子に重用された秦河勝も秦氏の一員です。
彼は、弥勅菩薩像が納められている広隆寺を建てたことでも知
られていますが、平安京の造営に際しても、秦氏は現在の太秦あたり、平安京西郊の建設に大きな貢献をしているのです。
その秦氏の、とくに長を指す別称が、太秦だったと言われています。
日本全国には神奈川県秦野市をはじめ、「秦」「羽田」「波田」「幡多」「幡」などの付く地名は、いずれも秦氏に関係した土地だといわれているようです。
先斗町(ぽんとちょう)(京都府京都市)「先端」を意味するポルトガル語のPontaが語源
京都市の「先斗町」は中京区にあり、鴨川と木屋町通のあいだにある花街。もともとは鴨川の州で、江戸初期に護岸工事で埋め立てられ、江戸後期には公認の遊郭もあったそうです。
1872(明治5)年には、「鴨川をどり」が第一回京都博覧会の附博覧(余興)として初演され、それをきっかけに先斗町は、日本はもちろん世界的にも有名な花街として知られるようになりました。
鴨川をどりは現在でも先斗町歌舞練場で上演され、舞妓さんたちによる豪華絢嫡な舞台は、京の初夏に欠かすことのできない風物詩となっています。
一般庶民には縁遠い舞妓さんや芸者さんによる舞を、手頃な料金で見ることができるので、人気があります。
また舞妓や芸者にとっても日頃のお稽古の成果を披露し、実力を試す場でもあるため、とても緊張する舞台だそうです。
この「先斗町」という地名は、ポルトガル語で「先端」を意味する「Ponta」に語源があるとされところです。
江戸初期の京都では、南蛮貿易がおこなわれていましたが、その影響で、各地の地名にポルトガル語に関係する言葉が使われたそうです。
先斗町も、そのなかの一つというわけです。
ちなみに、鴨川と高瀬川に挟まれた「堤」になっていることから、「堤」=「鼓」が「ポン」と鳴ることにかけて、「ぽんと」になったとする説もあるようですが真相は謎のままです。