自然崇拝と神社の原始宗教

何か願い事があるとみんな神社で拝むと思います。神社には大なり小なり社があり、その前で手を合わせて拝みます。

しかし、その社には何が存在しているのか? 何か神様の像が祀られているのか? そもそも神社っていつ頃からあるのか? 人はいつから拝むようになったのか? そんな神道の原点に疑問を持つ人も少なくないという。

神社の原点とは、いったい何でしょうか?

目次

神社の本質は「形」にとらわれないこと

神社は、神が降りる場所、神を拝む場所です。

では、神社は、もともとはどのような姿・形をしていたかご存知でしょうか?

神社の入り口にあたる鳥居をイメージしてください。

鳥居は神域の入り口、門です。その鳥居をくぐると、今度は参道が続く。手水舎という手や口をすすいで浄めるための施設があり、参道の突き当たりには神様を拝む拝殿や、神様を祀った本殿があります。

規模も、村の鎮守や屋敷の裏の稲荷社など、質素なといったレベルのものから、伊勢神宮や明治神宮のように壮大な「杜」に囲まれた霊域を維持するものまでさまざまです。

この一般的な神社のイメージは、あくまでも「形」にすぎません。

しかし神社の本質は、こうした形には存在しないのです。神道の神様には、もともと姿.形などないのです。

さらにその神様もいつも神社にいるとは限りません。神社はいつでも神様を迎える準備を万端に整えた、聖なる場所という意味があります。

もともとは「神を招き、降ろす(あるいは降りる)場所」が神社の本義なのです。

巨大岩や御神木が神社の原点

神社の原形とは、何か?

これには諸説あって、そのひとつに、「神籠(ひもろぎ)」と「磐境(いわさか)」があります。

例えば家やビルの新築現場で、地鎮祭が行われます。

このとき、地面にさかきなどで仮の祭場を設置するが、あれが神籠です。

つまり神籠とは神を降ろすための樹木のことで、樹木はもともとそれだけ聖なるものと見なされているのです。

磐境は巨大な岩、もしくは岩を組んで作られた祭場です。

聖なる樹木と同じく、神道では巨大な岩もまた、神が降臨する場所とされてきました。

日本最古の神社といわれる奈良県の大神神社は、神を祀った本殿がないことで知られています。それは、神社の背後にそびえる三輪山そのものが神であるとされているからですが、その三輪山の山中には禁足地とされている巨大な磐境(いわさか)があります。

神社に巨大な岩や古木(御神木)がよく見られるのは、こうした理由によるものです。

日本人の血に宿る特性かもしれませんが、いかにも神々しい古木や巨大な岩を山中に見つけたとき、人々はそこに神の気配を感じ取ったのです。

日本人の自然崇拝の精神は、悠久の昔から続く伝統なのです。

神が降りる「場所」を見つけた人々は、その場所で神を祀る祭祀を行うようになります。最初は簡単な祭壇を設ける程度で十分で、重要なのは祭りを行うための「場」であって、施設ではないからです。

神の島と呼ばれる福岡県の沖ノ島では、巨大な岩の前で行われた古代祭祀場の跡があります。

神社は超自然的な力が働く場所

やがて人間に家が必要なように、神様にも住居が必要なのではないか、と考える人々が増えてきました。きっかけは、天皇家に縁の深い神々の存在です。

皇室の祖先神であるアマテラスや、そのほかの神も人間の宮殿以上の規模で祀られることになります。

その他にも、祖先伝来の宝物を奉納した倉庫がもとになった神社もあります。

倉庫の宝物を拝するうちに、いつしかそこが神社となったのです。皇室の三種の神器のひとつ、草薙神剣を祀る愛知の熱田神宮などはそうしたケースでしょう。

ほかにも、墓所が神社となったケースもあるし、なにかの故事があった場所を特別視するうちに神社に発展したものもあります。

いずれもそこに何か超自然的な力、霊威とでもいうようなものを強く感じる場所が神社となっています。その意味ではまさに、神社は建物ではなく、「場所」であるといえます。なのです。

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