天皇家と神道の結びつきを考えた時、その参考になるのは古事記の物語でしょう。
日本で生活をしていると、神道に触れる機会は誕生時からあるので、そこに疑問を持つ人はいないと思います。しかし、天皇家の存在を知るようになると、その存在がいつからはじまり、どのような経緯で今のような存在になったのか? 思わず考えずにはいられなくなります。
そして、天皇家と神道の神々が親密な関係を持っていたと知った時、よりなぜ?という気持ちが強くなります。
神道は日本独特の宗教です
昔から他国と戦争になると、「神国」という言葉で気持ちを鼓舞する、そんな戦争映画もたくさんあるように、日本は「神の国」だと言われてきました。
神がいるなら、それを敬い、崇め、祀らなければならないのは当然のこと。そして、こうした祭祀を 行う役職を神職という。
そして天皇は、その神職のトップの地位にあります。なぜ?
例えば宇多天皇(在位887〜897年)は、日記に次のように書いています。
「我が国は神国なり。因って毎朝四方大中小天神地祇(てんちんちぎ)敬拝す。敬拝のこと、今より始めて後一日も怠るなからん」
日本は神の国だから、自分は毎朝、四方にいらっしゃる大中小の天神地祇を1日も怠ることなく拝む、といっているのです。
(※天神地祇とは、天の神と地の神。天つ神と国つ神。あらゆる神々。)
このように、神国日本に存在する神様を拝むことは、天皇にとって重要な仕事のひとつとされたのです。
なぜ神道は、天皇家と結びついているのか
南北朝時代に北畠親房が著した『神皇正統記』が、次のように明確に説明しています。
「大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神永く統を伝へ給ふ。我が国のみ此事あり。異朝にはそのたぐひなし。此ゆへに神国といふなり」
天祖(天の神様)が国として最初の日本の礎を築き、日神(アマテラス)に連なる天皇家がそれを伝えてきた。これは日本だけのことだ、というわけです。
『古事記』が説く創世の神々
『古事記』は、世界(日本列島)の誕生を次のように説いています。
天と地がはじめて分かれたときに、高天原に天之御中主神(アメノミナカヌシ)という神が現れた。そして次に高皇産霊尊(夕カミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)が登場する(これを造化三神と呼ぶ)。だが、彼らは何をするわけでもなく、そのまま姿を隠してしまった。
この後、実に多くの神が姿を現しますがいずれも消え去り、そんななかで伊邪那岐(イザナギ)、伊弉波(イザナミ)という男女の2神だけが残ります。
実はこの伊邪那岐、伊弉波は、はじめての男女の区別がはっきりとした神であり、子孫を残すことのできる神だったのです。
そして、この2神は、「天の浮き橋」から矛を降ろし、海をかきまぜました。
その矛の先からしたたり落ちた海水の塩が固まり、積もって島となります。これが「オノコロジマ」です。
2神はこの島に降りると、交わって子供を産みます。
そして生まれたのが、淡路島や四国、九州、さらに本州など8つの島という日本列島なのです。
その後、2神は次々と神を産みますが、伊弉波は火の神を産んだ際のやけどがもとで死んでしまいます。
そして、伊邪那岐は伊弉波に会うために、死の世界(黄泉の国)を訪れますが、逆に恐ろしさのあまり逃げ帰り、その時の伊邪那岐の禊(みそぎ)で生まれたのが、有名な天照大神(アマテラス)や須佐之男(スサノヲ)なのです。
天皇家の祖先は「天照大神(アマテラス)」
日本列島が落ち着くと、高天原の天照大神は、孫である日子番能邇邇芸命(ヒコホノニニギノミコト)に地上に降り、国を治めるよう命令した。
日子番能邇邇芸命はたくさんの神をともなって、日向(現在の宮崎県)高千穂峰に降りたちます。
瓊々杵命はそこで地の神と結婚し、山幸彦・海幸彦という有名な神話の兄弟をもうけます。その山幸彦の子を鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズ)といい、さらにその子が初代の神武天皇なのです。
要するに、天皇家の血筋は神武天皇から鵜草葺不合命、山幸彦、瓊々杵命を経て天照大神まで1本でつながっているのです。
天照大神が天皇家の祖先神とされている理由は、まさにここにあると同時に、天照大神は日本列島の創造神である伊邪那岐の直系でもあるわけです。
ここから、その子孫である天皇家が日本列島を統治するのは当然であるという、権利の必然性が説明されるのです。
ただこれは神話上の話であり、事実かどうかはわからない。
しかし、今日まで天皇家が途切れることなく続いてきたという事実は、多くの歴史上の人物がこの「神話」を受け入れてきたという、まぎれもない証拠なのです。