毎日の大切な生活習慣として、歯磨きは欠かせません。
でも考えてみればこの歯磨きという習慣は、いつ頃から始まったのでしょうか?
NHKの朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」で、歯磨き粉を作るエピソードがありましたが、それを見ていると比較的新しい風習なのかなと思うのですが。
日本歯科医師会によると、男性より女性の方が自分の口臭に敏感という調査結果があります。
しかし、なんと、江戸時代は逆だったそうです。
日本人の歯磨き習慣はいつ始まり、口臭エチケットはどう変わってきたのでしょうか?
歯磨きの起源を知る
原始時代の人々は、硬くて繊維の多いものを食べていたので、虫歯は比較的少なかったと思われています。
だから、歯の隙間に挟まった食べかすを取り除くために、草や小枝を使って取り除いていたそうです。
そして、今のような歯磨きの起源は、紀元前5世紀ごろのインドにまで遡ります。
嘘か誠か、釈迦が口臭のひどい弟子たちのために、読経の前に小枝で歯磨きをすることを戒律に定めたのだとか。
仏教経典に楊枝による浄歯が、一儀式として書かれているそうです。
それが仏教伝来とともに日本に伝わり、公家や僧侶、武家に身を清める作法として広まっていったそうです。
特に僧は仏前に礼拝する前に、身を清めるために歯を磨きました。
木の枝を使う方法は、未開の地の少数民族の間で行われていたことをテレビなどで見たことがありますが、それを見るとかなり昔は世界的に木の枝が使われてたのではないかと思いました。
では、昔は木の枝でどうやって歯を磨いたのでしょうか?
横浜には「歯の博物館」に歯磨き用の「高野山金剛峯寺の歯木(しぼく)」という木があり、形は割り箸を割った感じです。
江戸の歯磨き粉は陶土が主原料だった
歯磨きが庶民に広がったのは江戸時代中期。
歯磨き粉と房楊枝(ふさようじ)が商品になったのがきっかけです。
江戸時代の歯磨き粉は、陶器の材料となる陶土から作る磨き砂に、薬効のあるハッカやチョウジなどを加えたものです。
また、房楊枝はヤナギやクロモジなどの木の枝の先端を房状にしたもの。
柄の部分は舌苔をこすり落とせるようになっており、朝起きて歯を磨き舌をこすることが、身を清める習慣として江戸の町の庶民に定着しました。
そして、江戸の男は白い歯にこだわっていました。
理由は、江戸の男たちが遊郭で遊ぶ時に、歯が汚れて口臭があると吉原の遊女に嫌われたからとか。
女の方も歯の白い男はだて男であり、歯磨きをするかどうかで江戸っ子か田舎者かを見分けたという。
江戸後期の文化・文政期には、吉原に近い浅草寺境内に数十店の楊枝店が軒を並べ、房楊枝や歯磨き粉などを売っていたという。
美人の看板娘を置いて客の気を引いた様子が浮世絵になっています。
洋風歯ブラシ第1号はクジラのひげに馬の毛植える
幕末に開港した横浜に近代西洋歯科医学が入ってきて以降は、現在のような形の歯ブラシが登場します。
1872年発売の洋風第1号の「鯨楊枝」は、クジラのひげに馬の毛を植えたものだった。
それでも明治中期まで房楊枝が使われていたそうです。
1880年ごろに登場した竹の柄と豚毛の「竹楊枝」は、徐々に広まり、その後「歯ブラシ」を初めてうたったのはライオン(当時・小林商店)の「萬歳歯刷子」です。
歯磨き粉は1972年に、炭酸カルシウム粉末の西洋歯磨き粉が海外で登場。
16年後に資生堂が、初の練り歯磨きを製品化します。
戦後には葉緑素やフッ素入りが出て、歯の表面の汚れを物理的に落とす時代から、美白・殺菌効果のある化学的歯磨きの時代へと転換していきました。
大正時代には学童への歯磨き啓蒙運動が盛んになりました。
歯磨き製品メーカーのライオンによると、1922年ごろには専門講師を小学校に派遣して実地指導を始め、全国に広げたという。
そして6月4日が「ムシ歯予防デー」になったのは1928年、昭和初期のこと。