夏になると各地域で行われる地蔵盆、どんな小さな集落の道にもあるお地蔵さんの石仏や、お墓やお寺にある六地蔵像、そして子どものころ『かさ地蔵』の昔ぱなしなどに親しんだ私たち日本人にとって、お地蔵さんは身近な存在です。
では、お地蔵さんとは何でしょうか?
お地蔵さんは、神なのか仏なのか。日本生まれか、外国生まれか。これらの疑問にすらすらと答えられる人は少ないでしょう。
神から仏になったお地蔵さん
もともとお地蔵さんは、古代インドのバラモン教の神々の一人でした。
地蔵の仲間には、日蔵、月蔵、天蔵がいました。
日、月、天と、いずれも星にまつわるバラモンの信仰に根ざしています。
バラモンの教えでは、大地は母性の象徴です。
つまり地蔵は、母なる大地の慈愛に満ち、人々の苦しみを救うと信じられていたのです。
そのお地蔵さんを、仏教が取り入れ地蔵菩薩となりました。
仏教の祖である釈迦の入滅後、世界は無仏になります。
地蔵菩薩は56億7000万年後に弥勅菩薩が出生するまでのあいだ、その世界に住んで人々を救済する菩薩としたのです。
このようにお地蔵さんは、仏の仲間入をして、仏教崇拝の対象となりました。
日本へは、お地蔵さんは中国を経由して伝わり、平安から鎌倉時代に地蔵信仰として人々のあいだに広まりました。
仏教にある数多くの仏の中でも、お地蔵さんは特に庶民に親しまれる仏となったのです。
地蔵信仰の教えでは、私たちは死後に冥土で閤魔さまに裁かれ、地獄の責め苦を受けたあと、地蔵の慈悲で救われるという。
これは庶民にもわかりやすい教えです。
毎月二十四日は地蔵の縁日です。地蔵講ともいい、信者がお地蔵さんを祭る寺に集まります。
地蔵講は今でも全国的に行なわれ、信仰は深く根づいています。
六地蔵の意味
村はずれなどで六体並んで立つお地蔵さんをよく見かけます。これは「六地蔵像」といい、お地蔵さんが現世と冥界の境に立って、人々を守るという信仰によるものです。
なぜ六体なのか。
じつは六という数字に意味があります。
仏教では、人は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道という六つの迷いの世界に住むといわれ、これを六道というのですが、お地蔵さんはこの六道の人々を救済することに通じているのです。
変わった地蔵信仰
仏教には、親より先に死んだ子どもは三途の川を渡れないという教えがあります。
このときも、お地蔵さんが子どもを救ってくれるという。
ほかにもお地蔵さんは、さまざまな病気を治したり、子どもを授けたり、子どもを守ったりするといわれます。
変わったところでは、「ボボ地蔵」というのがあります。
ボボは『古事記』、『日本書紀』に出てくるホト(女陰)と同じ意味です。
いまも、おもに太平洋側の地域の方言ではボボは女陰を指す。
同じポボが、日本海側の方言では赤ん坊という意味になります。
両者は男女の交合という点で近いのかもしれない。
生殖は神聖であり、子どもは天からの授かりものという感覚は根っこの部分では今も昔も同じでしょう。
日本昔話「笠地蔵(かさじぞう)」
昔々あるところに、貧しくも心の優しいおじいさんとおばあさんの夫婦が住んでいました。
ある年の暮れのことです。このままでは正月のお餅も買えないということで、みの笠を作って町で売ることにしました。
おじいさんは大晦日の町で一日「かさいらんかえ」と売って回りましたが、不景気のせいか一つも売れませんでした。
帰り道、ちらちらと雪が降り始めます。峠に差しかかったときにはすっかり吹雪になりました。
ふと見ると、峠の道端にお地蔵さんが六つ並んでいました。
「ひゃあ、こんな吹雪の中、笠もなくてはさぞお寒かろう。さあ、この笠で少しでも雪をしのいでくだせぇ」
優しいおじいさんはそう言って、お地蔵さんに笠をかぶせてあげました。
お地蔵さんは6つ、笠は5つしかなかったので、足りないぶんは自分の手拭をまいてあげました。
結局この日、笠は売れませんでしたが、何かとてもいい気分になっておじいさんは家に帰ってきました。
帰宅してから、お地蔵さまのことをおばあさんに話すと、それは良いことをしたと言い、喜んでくれました。
そして、おじいさんとおばあさんは、いい気分で床につきました。
さぁ、お正月の朝になりました。昨夜のうちに雪はやみ、まぶしい太陽の光が雪をてらし、キラキラと窓から差し込んでいました。
なんだか表がにぎやかです。楽しい歌と、大勢でワイワイいってる感じです。
おばあさんとおじいさんが外へ出ますと、家の前にお正月のお餅や、飾り物、ご馳走やお菓子が山のように積まれていました。
「ひゃー、これはどうしたことじゃ」
先を見ると、道を引き返していく六人のお地蔵さんの姿が見えました。お地蔵さんたちは振り返ってにこやかに手をふります。
「お地蔵さんたちが昨日のお礼をしてくれたのか」
「おじいさん、これでよい正月が過ごせますね」
おじいさんとおばあさんは、立ち去っていくお地蔵さんの姿を見て、手を合わせました。
おしまい。