小学生の頃、学校で蚕(かいこ)を飼った経験は多いのではないでしょうか。
蚕は絹糸の生産には欠かせない昆虫で、昔から日本の生活に密接に関係しており、養蚕(ようさん)の歴史は古事記にも記述があります。
また蚕のマユから採取される絹糸で織られた布地は、主要な輸出品でもあり、日本の近代化を支えました。
農家にとっても貴重な現金収入源にもなり、それゆえに蚕か神格化されていたようです。
古事記にもある養蚕の歴史
蚕はイモムシのような幼虫で、自然界には存在しない、完全に人間が家畜化した昆虫です。最初は黒い幼虫が脱皮をすると白色になります。
もしも自然界に放してしまったら、その目立つ白い色から鳥などの外敵にすぐに捕食されてしまうといわれています。成虫も羽がありますが、すでに退化して飛べないそうです。
幼虫はひたすら桑の葉を食べ、やがて口から白い糸を吐き、マユを作ります。このマユが絹糸の原料となります。
日本の養蚕の歴史は古く『古事記』、『日本書紀』にすでに「蚕生り」とあります。
歴史的には養蚕は中国でその手法が確立されて、古代日本に伝わり、その後も延々と営まれ、明治維新ののち農家が本格的に取り組むようになります。
このように蚕は大切に育てられてきました。
幼虫は湿気を嫌うため、農家では人間は暗い納屋で寝て、蚕棚を南向きのいちばんよい部屋に設けたという。また、虫の名まえに「お」をつけて「お蚕」と呼ぶあたりにも、大事にする気持ちが表れています。
神格化された蚕
日本には、八百万の神々といい、いろいろな神がいます。
そして蚕にも神がいます。その名は「お蚕さま」。養蚕の守護神です。
お蚕さまは森羅万象に神が宿るという原始的な日本人の信仰心が生んだ神といえます。
東北地方には、「おしらさま」という蚕の神にまつわる民間信仰が残っています。
「おしら」とは蚕のことで、「おしらさま」は養蚕の神です。
神体は桑の木で作った長さ30センチほどの二体一組の偶像です。馬頭、姫、男女など姿形はさまざまで、顔は墨でかかれるか、彫られます。
おしらさまには、悲しい伝説があります。
昔、あるところに爺婆と娘が馬を一頭飼っていました。
娘は年ごろになって馬と仲よくなり、ついに馬と夫婦になります。
爺は馬を山に連れだし、大きな桑の木につるして殺して皮を剥いでしまいます。
皮は娘のところに飛んで行き、娘をさらって天に去りました。
ある夜、爺の夢に娘があらわれ、自分のことはあきらめてほしい。そのかわり三月十六日の朝、土聞の臼の中に馬の形をした虫がわいているから、馬をつるした桑の葉を食べさせよ。そうすれば虫が絹糸を出して繭をつくるから、それを売って暮らせよ。と教えたというのです。
これはいわゆる「馬娘婚姻謹」のひとつで、蚕神と馬の関係を物語るものです。
柳田国男の『遠野物語』の第六十九話にもこの話は遠野に伝わる昔話として、おしらさまの蚕神としての由来が述べられています。
このような人間以外との婚姻を異類婚といい、古い伝説にはよく見られます。
例えば助けられた鶴が、恩返しのために女性の姿で現れたり、安倍晴明の生誕伝説にあるように、キツネが女性となって子供を残す話などがこれにあたります。
おしらさまの話は中国の古書にも類話があるということで、やはり起源は中国ではないかといわれています。
関東地方の養蚕地には、おしら講と呼ばれる蚕の神を祭る行事があります。
これは、多くは正月に行なわれるのだが、集まるのは女性だけです。
また、おしらさまの祭日である1月、3月、9月の16日に信者が集まって、おしらさまに布を重ねて遊ばせる行事があり、「おしら遊ぴ」というものがありますが、これをひな祭りの起源とする説もあります。