今の社会では大人も子供も常識がない、行儀がなっていない、という声をよく耳にします。でもそう言っている大人たちは、果たして行儀作法ができているだろうか?また行儀作法を他人や子供に伝えているだろうか?
昔は社会生活から日常生活に至るまでの行儀作法を、親や身近なご近所さんから学んでいました。他人の子供であってもいけない事はいけない、良い事は良いと声をかけていたものです。でも今それをしてしまうと警察に通報されかねません。かといって行儀作法をきちんと教えられる親は、少なくなりました。また学校でも教えてくれません。
これから国際社会に通用する日本人であるためにも、今一度行儀作法とは何なのかを意識しておく方が良いと思います。
<行儀作法の三原則とは>
人に好感を与えること。
人に迷惑をかけないこと。
人を尊敬すること。
人に好感を与えること
「好感を与える」ということは、「人の感情を害さない」ということです。
常日頃からおごり高ぶった人は、好感をもたれるでしょうか。そうではありません。
人となりは外見にも表われますが、誰からも好感をもたれる人はやはり謙虚な心をもって生きている人。
「おかげ様」という気持ちをもっている人だと思います。
誰でも感じることかと思いますが、人間はふとしたところに本性が表われるものです。
たとえば、人から足を踏まれて、あからさまに嫌な顔をする。気分が悪くなると他の人に迷惑をかける行為をする。こうしたところで、人間の本性がわかってしまうというわけです。
ちょっと足を踏まれたときに、「私こそ、ごめんなさい」 と言える人こそ紳士淑女であり、行儀作法であると思います。仕草やしきたりだけでなく、笑顔、温顔であることも、行儀作法です。
顔は心の表われなので、やさしい心や感謝の気持ちをもって生きていれば、自ずと温かな顔になるものです。
洒落の感性も重要な要素です。洒落の感性は、とっさの機転、気配りです。大人には、その場が嫌な雰囲気になってきたら機転をきかせ、明るい雰囲気に変えることが求められます。
このように日本の礼儀作法では、自他ともに気持ちのよい空間をつくれる人が本当の大人であり、場を白けさせる人は礼儀作法のない人。ましてや、故意に人の気持ちを傷つけるような言動は、あってはならないことです。
また、その場にいない人の話をすると、尾ひれがついてありもしない話になったり、時に批判したと誤解される場合もあります。
そのようなことにならないために、まったく違う話に転化してしまうような機転も、大人の感性であり行儀作法。年齢が高くなればなるほど、そうしたことをする立場になります。
人に迷惑をかけないこと
基本的にホテルやレストランでジーンズ姿やサンダル履きの方をお断りするのもその一つです。
ジーンズはカジュアルな装いで、もともとは作業着です。それに対して、ホテルやレストランは非日常の場であり、お客様はいつもと違う空間を楽しみに来ています。そうした人の気持ちがわからない方はお断りということです。
それが数十万円するヴィンテージのジーンズでも同じです
実際、自分のことしか見えない人は、自分が人に迷惑をかけていることがよくわかっていない場合が多いようです。そのような人は、人づき合いにおいても最も嫌われてしまうでしょう。
人を尊敬すること
人を尊敬することで第一にあげられるのが敬老心です。
敬老心は、お年寄りを敬い、大事にすることだけをいうのではありません。
しかし歳を重ねてきたということは、さまざまな困難を乗り越えてきて今がある証であり、その努力に対して敬意を払う心が敬老心です。
人の表面的なことではなく、その方が経てきたであろう道のりを察すれば、その気持ちは自ずとお年寄りを大切にする姿勢になって表われるでしょう。
人を尊敬することとして、国際社会ではレディファーストも加わります。これはもともと中世の騎士道のナイトの精神に由来し、子供、お年寄り、女性など力の弱い人や立場の弱い人を守ることとして生まれた行儀作法です。
建物やエレベーターの出入り、乗り物の乗り降り、道を歩くときの位置(男性が車道側)をはじめ、着席の際に女性のイスを引いてあげるなど、日常のさまざまな場面でレディファーストの習慣が見られます。
欧米では、男性が女性より先にずかずかとエレベーターに乗ると、レディファーストができていない子供であるとみなされてひんしゅくを買います。自分の国でそのような習慣があるないにかかわらず、外国では、その国で伝統的に行われてきた習慣に従うことが、敬意の表わし方として大切なことです。