江戸時代の庶民の生活環境が原因で生まれた「暑中見舞い」の習慣

今は数が減りましたが7月から8月にかけて送られてくるはがきは「暑中見舞い」です。
年賀状と違ってこちらは、ほとんど廃れてきつつある習慣。
言い換えるならFacebookやGoogle+などのソーシャルネットワーク上の「暑中見舞い投稿」に置き換えられているってこと。

しかし本来、暑中見舞いとは「お盆」の行事と密接な関係があったことをご存知でしょうか?

夏の風習
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年賀状と中元状

ちょうど一年の中間にあたる頃がかつては「お盆」と呼ばれ、先祖祭りの特別な日でした。

昔の暑中見舞いは、このお盆の時期に贈り物を持って、親戚や世話になった人びとを訪れる慣習だったのです。

今のように手紙や葉書で言葉を伝える場合は、「中元状」と呼ばれていました。

昔の日本人は、正月とお盆は一年の大切な節目と考えていました。
そのため年賀状と中元状は、人付き合いに欠かせないものであり、年の始めと、真ん中に相手の健康のお見舞いをするのが最低限の礼儀だと考えていたのです。

こうして考えると、お年始も暑中見舞いも人と人が生身で行き交い、敬い感謝する行為だったのです。
人間関係がドライになりがちな現代人には、考えられないことですが、本当に心を通わせるということはこのような慣習があってこそだと思うのですが、どうでしょう?

健康を願う暑中見舞い

年賀状には「おめでとう」と書きます。
暑中見舞いには何と書きますか?

ウダウダと夏の暑さには体も参ってしまい、人によっては体調を崩したりします。
またなま物が腐りやすく、食あたりにも注意したい時期です。

だから「夏の間を健康に過ごしてください」という気持ちをこめて、「暑中お見舞い申し上げます」という挨拶文が用いられるようになりました。

江戸時代以前の日本は、医療が未発達で、土用の時期に大病を患う人が多くいました。

そのため多くの人が、お互いの健康を気遣て土用の時期に暑中見舞いを送るようになりました。

土用とは旧暦の夏の期間のり終わりにあたる7月21日ごろから立秋の前日である8月7日ごろまでをいいます。

春、夏、秋、冬のそれぞれの終わりに18日または19日間の土用があります。
昔から夏の土用だけが、病気に用心しなければならない時期として注目されていました。
だから暑中見舞いは必ず立秋以前に出すべきものとされ、立秋以後に出すときには、「残暑見舞い」と書くことが決まりです。

年賀状と同様に言霊信仰にもとづいて、世話になった人に健康をもたらす暑中見舞いの書状を送る習慣として生き続ける暑中見舞い。
暑中見舞いは、世話になった人や知人を気づかい、よい人間関係をつくるために日本人として大切にしたい行事だと思います。

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