上座と下座は信頼関係が試される場

社会人になれば大人のマナーとして数人で集まった際に、誰がどの席へ着くが、というのはとても大切なことになります。
特に上座と下座のことをよく知っておかないと、相手に不快な気持ちをさせることになってしまいます。

上座と下座とが厳密に区別される正式の会合では、自分の社会人としてのスキルが試される機会でもあります。

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和室の前の庭は、床の間を背にする席からもっとも美しくみえるかたちに設けられています。
だから和室では、床の間を背にする席の中央が最上位とされています。
そして、最上位に近い席が上座となり、入り口のそばが下座になります。

洋室の会合では、もっとも奥が上座、入り口の近くが下座です。

このような考え方はいつから始まったことなのでしょうか?

それは室町時代に、床の間や池や築山のある庭園がつくられたあとに広まったものとされてます。

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戦の緊張感が上座下座を意識づけた

日本では古くから左が上座、右を下座とする考えがありました。
何人か並んで座るときに、自分の左側にくる者が自分より格上で、自分の右側にくる者が格下となります。

これは、人間の心臓が左側にあることからつくられた席次です。
誰かの右側に座ると、相手の右手がすぐこちらの心臓を攻撃できる位置になります。
しかしこちらの右手から相手の心臓までは遠い。
だからこちらが危害を加える意志をもたないことを示すために、上位の者を自分の左側にすわらせる習慣がつくられたのです。

武士の時代になった時は、武士が体の左側に刀をさすようになりました。
そうなると座敷で座るときには、刀を腰から外して左側に置くことになります。

これなら左手で刀のさやを取って持ち上げ、右手で刀を抜いて右側の相手を攻撃するのは簡単です。
反対に、左側の相手を攻撃するのは難しくなります。

だから武家社会では、「相手の左側から近寄ってはならない」という礼儀が生まれました。

そして会合のときには、上位の者を自分の左側に座らせたのです。

江戸時代になると、時と場所に応じて奥を上座とする考えと、左側を上座とする考えとを使い分けていたようです。

親族などの互いに信頼関係のある者の会合では、上位の者を景色のよい奥に通します。
しかし気心の知れない多様な人間の集まりでは、上位の者を左側にします。

明治時代以後になると、人びとが武器を持ち歩かなくなり、奥を上座とするかたちが定着しました。
そして地位の高い客が、安心してもっとも眺めのよい席に座るよう
になったのです。

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