ご飯をこぼすと目が潰れる

大人になっても、子供のように食事時にご飯をポロポロ落としながら食べる人がいます。

さすがに大人に注意することはできませんが、子供であれば「ご飯をこぼすと目が潰れるよ!」と言えるのですが。

飽食の時代と言われ、毎日多くの食べ物が破棄される現代。そして、お米を食べなくなってきている人々が増える中で、今一度この「ご飯を大切にする」気持ちを伝える戒めの言葉を思い出してみませんか。

ご飯

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お米は天照大神の御眼だと考えられていた

「ご飯をこぼすと目が潰れる」と言っても、お米が目に悪影響を及ぼす成分がご飯に含まれているわけではありません。

この言葉は、ご飯を粗末に扱うことを戒めるために生まれた迷信です。

この迷信が生まれ、脈々と言い伝えられてきた背景には、「米」と「日本人」の密接な関係があります。

弥生時代に稲作が普及してから今では、お米が日本人の主食です。

しかし、江戸時代のお米は、ただの食べ物ではなかったのです。

お米の価値は貨幣と同等、時一にはそれ以上の貴重な農作物だったので、庶民の口にはなかなか入らないものであり、生産している農家ですら自分で食べることはできないものだったのです。

江戸時代に生きた農民は当時の税である年貢を、お米で納め、各地方を治める領主たちの領地も、米の禄高で計算されていました。

財産の象徴でもあるお米は、江戸時代から日本経済の基盤であり、中心を成していたのです。

そんなお米だからこそ、日本人は大切に扱ってきました。

米を栽培する田んぼは、まるで磨き上げるかのように雑草を除去し、美しく見せるよう努力を惜しまない。

そして、種から苗へ、苗が成長して黄金色の稲穂へと成長する一年の過程を大切にしてきました。

しかし農民は、せっかく栽培した米も年貢で取り上げられ、ほとんど食べることができなかったのです。

だからせめて、祭の際に神に感謝を捧げる意味合いで米を供え、めったに口にすることのないご飯を食べて、無事に米が収穫できたことに感謝したのです。

「米はたんなる食べ物ではなく尊いもの」

厳しい環境を生きている農民を中心に、そんな気持ちが育まれていったのも無理はありません。

いつしか「米には三体の仏様が宿る」「米は天照大神の御眼である」などと神格化され、そんな神聖な米をこぼすことは、だいそれたふるまいであると戒められるようになったようです。

眼に悪影響が及ぶという迷信は、こうして生まれたものと考えられています。

現代でも農家を取り巻く状況は良いとは言えません。お米を食べなくなってきている理由の1つに、主食として誰でも普通にお米が食べられるようになったからと、考えられるかもしれません。

何ヶ月もかけて丹精込めて育てて生産したお米の価値が低くみられてしまう、主食だから家計に優しい価格でしか買わない消費者にも問題があります。

日本人が時代を超えて伝えてきた風習を、現代人こそ大切にして自分を戒めないといけないのかもしれません。

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