太子さま~お寺に太子堂がある理由
太子とは、皇位を継承する皇子や王子という意味です。
現在の「太子信仰」というのは、聖徳太子への様々な信仰のことです。
しかし、聖徳太子が本当は実在していなかった、架空の人物だった可能性が高いと今は議論がなされています。
それでも全国各地に聖徳太子の威徳について伝説化された話が伝わっており、普通の人間とは全く異なる才能と行動力に、信仰の対象として崇めるところが少なくありません。
平安時代に浄土教の布教とともに広まった「太子信仰」について語ろうと思います。
イエス・キリストを彷彿とさせる人生と逸話
聖徳太子が実在したとするならと歴史の本には、昔から数々の偉業が語り伝えられてきました。
日本最初の女帝・推古天皇の即位にともない二十歳で摂政となり、天才的な政治力を発揮した人物。
さらに「冠位十二階」や「十七条の憲法」を定め、遣陪使を派遣し、また仏教に深い理解を示し、法隆寺や四天王寺など多くの寺院を建立しました。
このように仏教の興隆に大きな業績を残しているので、仏の弟子筋と言われています。
聖徳太子の死後、太子を菩薩とみる伝記が出たり、聖徳太子が救世観音であるという信仰が定着、さらに平安時代には、太子信仰として人々のあいだではじまりました。
すぐれた業績だけでなく、太子にまつわる神秘的な伝説も人々を引きつけてゆきました。
太子には、実に不思議な話が多いのです。
たとえば厩戸皇子(うまやどのおうじ)という名です。
これはイエス・キリストが馬小屋で生まれた故事を彷彿させます。
ほかに、中国天台宗の僧侶の生まれ変わりだという説、観音菩薩の化身という説、死後に聖武天皇に生まれ変わって東大寺や国分寺を建立したという説、最澄や空海に生まれ変わったという説などがあります。
高僧から職人に至るまで信仰を集めた聖徳太子
人々の尊敬を集めていた最澄のような高僧たちも、太子信仰を支持していました。
なかでも親驚の熱心な太子信仰が、一般の人々に与えた影響は大きい。
寺院内には太子堂という聖徳太子を祭るお堂が建てられ、太子の命日にあたる2月22日を「太子講の日」とし、集まった人々に太子の教えを説き聞かせる法会を行ないました。
やがて、聖徳太子は大工職人の信仰の対象となり、太子講は職人のあいだで盛んに行われるようになったのです。
なぜ聖徳太子が職人の信仰を集めたのか?
一説に、職人仕事に欠かせない曲尺を太子が考案したためといわれます。また、太子が多くの寺院を建立したことを一因に挙げる説もあります。
そのため「木工の守護神」とも言われています。
聖徳太子に関わりの深い寺院
◎四天王寺
飛鳥寺と同じく推古天皇元年(593)に建立され日本最古の寺院。
創建当初は四天王を本尊としていました。
これは、物部守屋と蘇我馬子の戦いに際し、聖徳太子が蘇我氏の戦勝を祈って四天王の仏像を彫り、願いが叶って四天王寺を建てたという歴史に由来します
現在は救世観音菩薩が本尊です。
※住所/大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
※毎月22日には太子会が開催
◎法隆寺(斑鳩寺)
用明天皇の遺志を継ぎ、推古天皇と聖徳太子が創建しました。
寺の建立が叶わないまま崩御した用明天皇は自らの病気平癒を願っていたため、本尊は薬師如来。
西院伽藍と東院伽藍に分けられ、西院伽藍は世界最古の木造建築としても有名です。飛鳥時代の貴重な仏像や美術工芸品を多く所有し、世界遺産にも登録されています。
※住所/〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1