山鉾と祇園祭

祇園祭の山鉾には、正式には山と鉾の二通りがある。
『鉾』は大型で、屋根の上に鉾柱を高く建て、車で曳きます。
鉾柱には榊の枝を結びつけます。
中に稚児、囃子方や音頭方が乗っています。

『山』は小型で、昔は人がかついでいました。
松を建て、中に人は乗りません。
鉾柱も松も、悪霊、疫神の依り代です。
最初は、矛を飾り山車に乗せるだけだったのが、しだいに凝った造りになり、飾りや造り物をつけるようになり、稚児や囃子方が中に乗るようになりました。
今は稚児が乗っているのは長刀鉾だけですが、人形が乗っている他の鉾にも、江戸中期までは生きた稚児が乗りました。

祇園祭 稚児

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世界の神々が寄せ集められた山鉾

疫神・悪霊の依り代であるにも関わらず、鉾の真柱(屋根の上に立てられている柱)中央の天王台には、様々な神や英雄が祁られています。

例えば、鶏鉾には住吉明神が、月鉾には月読命(素菱鳴尊の兄神)が祀られれています。

日本の神だけではありません。
幽谷鉾には古代中国の斉の英雄・孟嘗君を祀り、その下に雄鳥と雌鳥を添えています。

山にも色々な神仏や英雄の像が飾られています。
岩戸山には伊弉諾尊像、天照大神像、手力雄尊像。北観音山には楊柳観音像と章駄天像。橋弁慶山には、謡曲「橋弁慶」からとった牛若丸と弁慶が対決している像が飾られています。

疫神を鎮めるのに、それらの神仏や英雄の力にもあやかろうとしたのでしょう。

また、都の人々が信仰している神仏や、人々の崇拝を集める英雄によって、自分たちの町の山鉾を素晴らしいものに仕立てようという、町衆の意図もありました。

祇園祭は、疫神払いに効果があると信じられていたものを、あれこれ寄せ集めて形作られてきた歴史があるのです。

祇園祭

より豪華に、より盛大に・・・

山鉾の台座部分のぐるりに掛けられている懸装には、西陣の織物をはじめ、朝鮮や中国、インド、ペルシャ、ベルギーの椴通までもが使われています。

例えば、長刀鉾は、前はペルシャの鍛通、左右の胴掛は中国の鍛通とインドの緞通、後ろの見送りは中国の緞通で飾られています。

鶏鉾の見送りは、トロイの王子と妻子の別れを描いたベルギーのタペストリーです。

こうした緞通やタペストリーは、安土桃山時代から江戸時代、さらには室町時代に輸入されたものもあります。

トロイの王子

「見られる祭り」が強烈に意識されてきた祇園祭

それぞれの町が、自分たち山鉾をより見栄えよくするために、賛を尽くし趣向を凝らして競い合い、渡来品で飾り立てるようになりました。
これは別の見方をすれば、京の町衆たちの財力や先見性、交易力の誇示したいがゆえだと言えます。

本来、祇園祭の主役は御輿。
山鉾巡行は、御輿の渡御に先だって、都大路を祓い浄めるために行なわれる神事なのです。

町中をまわることで山鉾に疫神を依り綴かせ、鎮めて祓うのです。

コンチキチンの祇園囃子は疫神を誘い、慰めるために奏でられるものです。

疫神の依り憑いた山鉾は水に流すのが本来の習わしですが、造りが立派すぎてとても水に流すことなんてできません。
だから平安時代から水に流す行事は行なわれなくなりました。

疫神の依り憑いた山鉾

現在は、巡行が終わると、山鉾はすぐに解体されます。
水に流すことをやめたので、その分早急に解体することで、その代わりにしようです。

祇園祭は厄疫神払いの祭りなので、蘇民将来伝説に由来する行事も取り込まれていきました。

31日、祇園祭の最後を締めくくる、境内社・疫神社の夏の蕨い、茅の輪くぐりの行事はその代表格です。

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