江戸時代の教本に見る庶民のユニークな学習内容

江戸時代の学校と言えば「寺子屋」。
寺子屋で使用されていた教科書のことを「往来物」といいます。
もとは手紙の行き来で読み書きを学んでいたことから、こう名付けられたそうです。

往来物の起源は平安時代までさかのぼります。
日経新聞に往来物を収集・研究している往来物研究家の小泉吉永氏の記事がありましたので、参考資料として少し抜粋して掲載します。
※本文は読みやすくアレンジを加えています。

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江戸期の教材、庶民の鏡

ある日、一冊の「庭訓(ていきん)往来」を見つけた。

庭訓とは、父から子に伝える教訓や、家庭教育の意味で、代表的な往来物だ。

最初は筆跡の美しさに魅せられたが、ひもとくうちに当時の人々の生き方や考え方に共鳴するようになった。

単なる読み書きの教科書にとどまらず、実生活に即した言葉を覚えられるのが面白いと思った。

冒頭は「春の始めの御悦び貴方(きほう)に向いて先ず祝い申し候畢(おわん)ぬ」という新年の祝詞で始まる。

季節ごとに、手紙の例文が掲げられている。その途中で、例えば「風流な催しをするために道具を借りたい」という内容が出てくると、「紅葉重(もみじかさね)、楊裏(やなぎうら)の薄紅梅(うすこうばい)、色々の筋の小袖…」などと内容にふさわしい単語が列挙されている。

江戸時代、木版印刷の発達で普及した寺子屋

平安から室町時代にかけては、手紙の模範文が中心だったのが、江戸時代に入ると、木版印刷が発達し、全国各地で寺子屋が普及したため、種類も大幅に増えた。

「商売往来」「百姓往来」など職業別や、いろはで始まる教訓歌など、多種多様な往来物が登場した。

江戸後期に書かれた「餅尽(づくし)」は、最初は正月の鏡餅や3月3日の雛餅(ひなのもち)など餅の種類を羅列する。

しかし、途中から「提灯(ちょうちん)持ち」「女房の焼き餅」「すべりてころぶが尻餅」など語呂合わせの戯文(ぎぶん)に変化する。楽しみながら学ぶ当時の手習い風景が目に浮かぶようだ。

寺子屋の指導スタイル

寺子屋には師匠がいて、学習段階に合わせ、1日にどれくらいの字数を学ぶか決めていた。

教材ごとの文字数がメモ書きされた、手習い本も見つかっている。学習目標が子供に示されていた例といえる。江戸時代の日本が世界有数の識字率だったこともうなずけよう。

達筆な子供たち

筆記具が高価だった当時、練習帳も大切に扱われた。

上から何度も墨で練習し、真っ黒になる。すると、筆に水だけを付けて重ね書きする。水で文字が浮かび上がるからだ。

全てのページがぬれると乾かして何度も使った。

中には、学習成果として子弟が書いた清書が挟まっていて、師匠が朱筆で「天晴(あっぱれ)」と絶賛したものもある。子供の筆跡と思えない達筆も珍しくない。

「親父の小言」幕末に

最近発見した貴重史料では江戸時代の「親父(おやじ)の小言」がある。

居酒屋などで見かける「火は粗末にするな」「朝きげんを良くしろ」という人生訓を並べたものだ。

長らく昭和初期の成立と考えられてきた。

しかし発見した史料には「嘉永5年」(1852年)と刊行年が印刷されており、江戸時代に流布していたと判明した。

往来物には未知の領域がたくさんある

今日の画一的な教科書と違い、往来物には地域や時代ごとに異なる多彩な内容と、作者の思いが込められている。

いわば庶民文化を凝縮した史料であり、あらゆる分野の研究に有益なものだ。

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