「天皇」とはいつ誕生した言葉なのか? 天皇の起源

古事記や日本書紀を見ると日本の大地を作り多くの神々を誕生させた伊弉諾尊、伊邪那美命にはじまる天皇家の起源を知ることができます。

しかしこの「天皇」という言葉がいつ頃から使われだしたのか? どういう由来なのかは未だに確証が得られていません。

歴史地理学者の千田稔氏によれば、舒明朝 天武天皇(在位673~686年)の時代には天皇号があったと見るのが有力だという。

使われ始めた時期については、文献史料や出土史料なども考慮に入れるかで見解は分かれます。
推古天皇(同593~628年)にまでさかのぼるとする説もありますがが、私は舒明天皇(同629~641年)に始まったのではないかと考えておられます。

京都御所

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天皇の称号は推古朝からはじまるという説

推古朝に始まるとの説の根拠の一つが、法隆寺の金堂に安置されている薬師如来像の光背の後ろに刻まれている銘文です。

推古15年(607年)という年代と「池辺大宮治天下天皇」(用明天皇=聖徳太子の父)などの文字があり、そのまま解すれば推古朝に天皇号が使われていたことになります。

ところが、7世紀後半に造像され、その後、銘文が追刻されたとする説が有力となり、この銘文は天皇号の成立の史料としては退けられたました

『日本書紀』の推古紀16年条にみえる「東の天皇、敬て、西の皇帝に白す」という表現は推古朝に天皇号が用いられた可能性を示すが、『古事記』は推古天皇を「豊御食炊屋比売命」とのみ記し、天皇という称号は文中に見当たらない。

天皇の称号は天武朝からはじまるという説

出土史料では、飛鳥浄御原宮跡で発見された「辛巳」(天武10年=681年)と「大津皇」という木簡があります。

飛鳥浄御原令の編纂が始まった天武10年頃から天皇号が用いられはじめ、同令において皇后号とともに制度化されたとの説を生みました。

明日香村の飛鳥池遺跡からも「天皇聚露」という木簡が天武朝の地層から出土しており、その頃には確実に天皇号があったとするのが多くの古代史家の見方です。

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天皇の称号は天智天皇からはじまるという説

天武朝より早く、天智天皇(同668~672年)の時代に使われていたとの指摘もあります。
天智天皇7年(668年)の「船王後墓誌銘」に「治天下天皇」と記されているのを一つの理由とするものだ。

だが、銘文に「官位大仁」とある「官位」は、「冠位」とは異なり8世紀以降にその用例が多くみられるので、墓誌の成立は8世紀初頭をくだらない。

天智朝成立説を示す別の史料とされるのが、大阪府羽曳野市の野中寺の弥勒像台座銘。

「丙寅年」(天智5年=666年)とする銘文中に「中宮天皇」という用語があり、天智朝に天皇号があったとみることもできる。

ただ、使用された暦の問題や文字の解釈をめぐって論争も展開されており、断定には至っていない。

中国の道教に由来するという説

一方で、天皇号が天智朝よりも前に使われていたとの見方もあります。
ここで重要になるのが、天皇という称号が中国の道教の最高神である天皇大帝に由来するという説です。

天皇大帝は北極星をシンボル化し、道教において世界あるいは宇宙を表現する場合、東西南北とその中間の8方位でなされます。

さらに、天皇が儀式にでる大極殿の「大極」は北極星を指す。
大極殿における天皇が座す高御座は八角形であって、6世紀末~8世紀初めの飛鳥時代における天皇の陵墓も八角形の平面形で築造されています。

最初の八角形の陵墓は、皇極天皇によって改葬された舒明天皇陵(奈良県桜井市)です。
それ以降、中尾山古墳(同県明日香村)にまつられたとされる文武天皇までが八角墳です。

また、『日本書紀』において大化の改新のクーデターは、皇極天皇(在位642~645年)の後飛鳥岡本宮の「大極殿」で起こったとし、その後をうけた孝徳天皇(同645~654年)の難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)で、考古学調査によって内裏前殿と名付けられた建物も、後の藤原京の大極殿に相当する位置にある。

とすれば、天皇号の由来とも密接にかかわる大極殿の有無から見ても、公式化あるいは制度化していたかは別として、天皇号の使用は、皇極~孝徳朝以前と考えられ、舒明朝に始まっていたとしてもおかしくはないということになります。

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