天神様と「通りゃんせ」

「通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ。天神様の細道じゃ」

今ではあまり見かけ無くなりましたが、昭和の時代には子供たちが集まってこの童謡を歌いながらよく遊んでいました。

幼い頃は歌の意味も考えず、ただ覚えたまま歌っていましたが、大人になってからこの歌詞をよく読んでみるととても謎めいた深い意味合いがあることに気が付きます。

天満宮

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童謡「通りゃんせ」は、天神様へ子どもの7歳のお参りに行く様子が歌われたもの

大人になってから知ってびっくりしたことですが、この歌はよく聞くととても怖い歌です。

歌の中に「行きはよいよい、帰りは怖い」といって、子どもを捕まえてしまうのです。

遊びの中でもあるタイミングになると、捕まえられてしまって身動きができなくなってしまうというちょっとスリルのある遊びです。

♪通りゃんせ、通りやんせ 、ここは どこの細道じゃ

♪天神様の細道じゃ

♪ちょーと通してくだしゃんせ

♪ご用のないもの通しゃせぬ

♪この子の七つの御祝いに、お札を納めにまいります。

♪行きはよいよい帰りはこわい。

♪こわいながらも通りゃんせ、通りゃんせ。

天神様と菅原道真

天神様といえば、学問の神として名高く、全国にあります。

しかし、神なのに天神様には怖いイメージがついてきます。

なぜでしょうか?

実は天神様は、ほかの神とは性格と生い立ちが違うのです。

多くの神社は自然や神話に出てくる神や天皇を祭っています。

ところが、天神様はそのどれにも当てはまらないのです。

天神様はもとは天皇の臣下で、名を菅原道真といいました。

彼は平安時代の秀才で、認められて右大臣まで出世したエリートです。

書にもすぐれ、弘法大師空海、小野道風らと日本の三筆に数えられます。

天神様の「学問や書道の神様」という性格づけは、生前の道真の資質に由来しています。

菅原道真を襲った悲劇

道真は、本来であればエリート街道を突き進み、恵まれた人生を送るはずだった。

だが朝廷の政争に巻き込まれ、落とし穴にはまります。

左大臣・藤原時平の謹言によって九州の大宰府に左遷され、あげく失意のうちに亡くなりました。

謀略によって死に至らしめた彼の死は、都の人々にとって後味の悪いものだったそうです。

しかしその後、都に疫病が流行り、落雷や火災が相次ぎ、示し合わせたように道真を陥れた政敵が次々と不慮の死を遂げると、道真の怨霊の仕業にちがいないと人々は考え、その崇りにおののいたのです。

当時は、魑魅魍魎が実在すると信じている人も多く、御霊信仰が盛んでした。

つまり不遇の死を遂げた者が怨霊となって人々に崇り、疫病を流行らせ、厄難を招くと信じられていたのです。

そのため、道真の霊を神様として祭って怒りを鎮めようと考えたのです。

さらに不思議な事に道真の家があった京都の桑原の地だけが落雷の被害に遭わなかったこともあって、彼を火雷天神とする御霊信仰が起こりました。

昔の人は雷が鳴ると、身を守るために「桑原、桑原」と唱えることがあるのは、このことに由来しています。

のちに道真の崇りを恐れた人々は、霊をなぐさめるために京都北野にあった天神社のかたわらに霊を祭る杜を建てたのだが、これが北野天満宮(北野天神社)の始まりです。

天神様は道真以前に存在していた

実は道真の霊を祭るまえから、天神様がすでにあったからです。

実は、天神様はもとはあまつかみ、すなわち天の神として祭られていたのです。

時が経つにつれて、天神社と道真を火雷天神とする御霊信仰がひとつになったのです。

ややこしい話ですが、このように長い時の溶炉のなかで、いろいろな信仰がひとつに溶け合ってゆくのは珍しいことではありません。

今では学問の神として高名な菅原道真も、「天神様」として祭られた当時は、何をしでかすかわからない怨霊として怖れられていたのです。

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