「黄昏(たそがれ)」の語源と夕陽の謎

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夕方、太陽が沈んで徐々に暗くなっていくほんの一時の間、その日の出来事や想いを振り返りつつ、ただその場の空気を味わう。
明日はどんな1日だろうか?今日に満足できただろうか?実に様々なことを想ったり、逆に何も考えずに無心で空を眺めていたり、この暗くなる短い時間に物思いに耽る至福の時を味わえるのが黄昏時です。

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「黄昏」は「誰そ彼(は)」とたずねたから

古くは「誰(た)そかれ」と書きました。
まだ明かりの少なかった頃の話です。
夕方の薄暗がりのなかで、人を見つけたり判別するのは困難です。
昼間ならはっきりと姿がわかりますが、「あれは誰であろう」と人の顔が見分け難い時刻を黄昏時といいました。
つまり、あそこにいるのは誰だろう、という意味で声に出したのが「誰そ彼(たそかれ)」という言葉で、次第にこの言葉が「たそかれ(たそがれ)=夕方」を表すようになってきたといわれています。

現代のように夜でもギラギラと明るい都会では、なかなか黄昏時の良さを味わえなくなってきました。

『源氏物語』(藤裏葉)に「わが宿の藤の色濃き黄昏に」とある。
黄昏どき、夕暮れのなかでも、とりわけ秋は趣が深い。

与謝蕪村に「山は暮れて野は黄昏の薄哉」、また『拾遺集』に「あしひきの山ほととぎす里なれて黄昏どきに名のりすらしも」。
ほととぎすの異名は黄昏烏。

近ごろ新聞やテレビなどで、ちょくちょく「人生の黄昏」なる言葉を見聞きします。
高齢化社会関連のニュースで使われることが多い。
この場合の黄昏とは、うらさびしい、ゆううつな気分と状態を表しています。
「髪が黄昏がれてきたら・・・」とは、かつらのキャッチフレーズになっています。

夕陽の色はなぜ赤いのか?

夕焼けは雲が太陽の光にあたり、それで赤く見えていると思っていませんか。
でも雲がほとんど無い晴れた日でも、美しい夕陽を見ることができます。
だから実際は雲ではなく、大気が大きく影響しているのです。

夕陽の光は昼間と違い、大気圏を斜めに差し込むため光の大気路程(光が通過する大気の厚さのこと)が長くなります。
その長さの違いによって、一番強く散乱する光の色が異なってきます。
西空は、大気路程の長い地平線付近から、上方に向かって赤・黄・浅黄・緑・青・紫へと染まり、そして太陽が沈むにつれてそれらの色が移り変わっているのです。

冬の夕陽は橙(オレンジ色)で、夏の夕陽は赤いのはなぜ?

冬の夕陽は黄色や橙色に染まり、夏は赤に近い色の夕陽が多くなります。
これは冬型の気圧配置、西高東低の場合、北西の季節風が強く、大気の塵が吹き払われ、水蒸気も少ないので、赤系統の光の散乱が弱くなり、赤色ではなく黄色や橙色の夕陽になります。
一方、移動性高気圧の場合は、風が弱く南からの大気が流入しやすいので浮遊する塵や微小水滴が多くなるため、赤系統の光を多く散乱し赤く染まります。

日本海と太平洋、夕陽はどちらが大きく見えるのか?

「日本海の夕陽は大きい」ということを聞いたことありませんか。
それは大気と大きく関係し、偏西風にのって乾いた空気は、日本海の上空で、海面から蒸発した水分をたっぷり含んだ湿潤な大気となって海面に漂います。
この変化に富んだ大気のフィルターを通して、日本海の夕陽は変幻自在にその色彩と形態を変容させているため、日本海の夕陽は大きく美しいと言われています。

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