新時代の伝統芸・宝塚歌劇(3)制約だらけの風と共に去りぬ。大舞台で育つスターたち

宝塚歌劇団名誉理事・植田紳爾氏の手記より。

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「次回作はどうする」。宝塚歌劇団は「ベルサイユのばら」の成功に沸きつつ、寄ると触ると次回作の話で持ちきりだった。外部の「(成功は)一過性だ」の声が耳に入った。何としても「ベルばら」に続くヒット作を世に送り出し、歌劇団の実力を示したかった。

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マーガレット・ミッチェルの名作「風と共に去りぬ」の舞台化

アメリカの南北戦争を背景に、南部の女性スカーレット・オハラと無頼漢のレット・バトラーの情熱的な恋を描く。物語のスケールが大きく、ポスト「ベルばら」に格好だった。

ただ、高額な著作権料が予想され、壁になっていた。当時の歌劇団理事長、小林公平さんから「次回作の案は」と尋ねられ、「『風』ですかね」と答えたものの、「難しいだろう」と思っていた。それが5カ月ほどたって、小林理事長から「契約できました。あなたにお願いします」と告げられ、びっくりした。

難しい仕事と分かっていた。映画はヴィヴィアン・リーの主演で世界的大ヒットを記録し、舞台も東宝による先行ミュージカルがある。二番煎じでは、宝塚で上演する意味は無い。

分厚い契約書も悩みのタネ。原作にない場面設定や人物の創作は認めないなど、禁止条項が長々と書き連ねてある。「これだけ縛られて、どうやったら新規性のある『風』を書けるんだ」と頭を抱えた。

禁止条項だらけの制約の中で

私は脚本執筆のため、韓国・ソウルのホテルに籠もった。当時、夜間外出禁止令が出ていて、知人から「出歩けないから、嫌でも集中できる」と聞いた。なるほど1人の時間を持つのには最適だった。

だが、簡単には想を得られない。時間だけが過ぎていくあせりで部屋の時計の音が胸に響き、心臓が痛くなった。その末にだ。主人公のスカーレットを建前と本音に分け、別々の生徒(劇団員)に演じさせるアイデアが浮かぶ。気性の激しい強い女性なので、建前の方を男役に演じさせようと思った。

大問題!バトラーのシンボルの口髭

上演は月組で、配役はバトラーがトップ男役の榛名由梨、スカーレットは芝居のうまい順みつき。稽古を始めると問題が起きた。映画の大ヒット以来、バトラーのシンボルともいうべき口髭(くちひげ)を付けるかどうかだ。

「清く正しく美しく」の宝塚では従来、トップ男役の髭はタブーだった。

私は「宝塚だから」と試しもしないで、はねつけるのは納得できなかった。榛名に「新しい男役像を創るため、付けるべきだと思うが」と水を向けると、「やりましょう」。朝から晩まで風呂に入る時も髭を付け、慣れようとしてくれた。

結果は大成功。1977年3月に開幕した宝塚大劇場(兵庫県宝塚市)での1カ月半の公演は、100パーセントの入りになった。

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スカーレット役に遥くららを抜擢

続く、星組公演では、スカーレット役に遥くららを抜擢(ばってき)する。この時まだ入団4年目の男役。年次が上の生徒が大勢いたので、組の中で浮かないよう、バトラーを演じるトップ男役の鳳蘭に面倒見を頼んだ。鳳は「分かった」と言ってくれた。実際、遥を常に自分の横に座らせ、大役にがちがちだった遥をうまくリードし、持ち味を引き出してくれた。

この公演で遥は本格的に娘役に転向。後にトップ娘役として、鳳とコンビを組む。

卒業

宝塚歌劇団には避けて通れないことがある。「卒業」と呼ぶ生徒(劇団員)の退団だ。未婚女性だけが生徒の資格を持てるので、結婚するなら引き留められない。歌劇団以外の仕事に転身を望む生徒もいる。そうして、入団者を毎年約40人迎え、新たなスターを生む素地ができる。

卒業を迎えた生徒には、宝塚ならではのセレモニーが用意される。まず「サヨナラ公演」の集合日(稽古初日)、卒業生の名前が発表される。稽古場での最終日には、出演者とスタッフが輪を作って「すみれの花咲く頃」を歌う中、卒業生は皆から花を一輪ずつもらいながら一周する。

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卒業公演の千秋楽の日

公演が始まると、同期生らが楽屋の鏡台を花やレースで飾る。いよいよ千秋楽。舞台が終わった後、所属する組の組長(最上級生)が卒業生の略歴を紹介。本人は舞台のセンターマイクを使って挨拶(あいさつ)する。大劇場全体が異様な興奮状態に陥り、観客も生徒もほとんどは涙、涙で幕を閉じる。

トップ男役の場合は千秋楽とその前日の2日間、公演後に約30分のサヨナラショーが付き、初舞台から今までの思い出の歌や踊りを披露する。トップ娘役のサヨナラショーは千秋楽のみ。

トップ男役にはさらに慣例がある。宝塚大劇場では千秋楽の終演後、劇場前を歩き、ファンにお別れをする。現在、花の贈り物は辞退しているが、1968年の那智わたるの時はバラを手にしたファンが殺到し、「花屋からバラが消えた」とまで言われた。

退団するトップ男役やトップ娘役のために、サヨナラ公演ならではの見せ場も設ける。私は「ベルサイユのばら」の東京公演(76年)で初風諄を送り出したのを皮切りに、「ベルばら4強」の安奈淳、鳳蘭、汀(みぎわ)夏子、榛名由梨のサヨナラ公演などを手掛け、一時は「サヨナラの植田」の異名をとった。

物語の結末を退団に重ねた演出

鳳が退団したころから、「サヨナラ公演だから」と割り切って脚本を書き始めた。物語の結末を退団に重ね、最後に「サヨナラ、私は……」と言わせる。汀には「私は新しい世界に行きますから」のセリフを用意した。鳳は照れたが、「ファンのため」と勧めた。

「やり過ぎ」と思う人もいるだろう。だが、この時ばかりはファンの気持ちを優先する。初舞台から10年、20年と温かく見守り続けてきてくれた人たちだ。最後の舞台を少しでも良い思い出にするのが、私の務めだと思っている。

数々の舞台を共にした麻実れいは退団後、「あんなに頼んでいたのに、私のサヨナラ公演を手掛けてくれなかった」と恨み言をもらした。「あらかじめ『辞める』と聞いていれば、対応しようもあったけど」と答えると、「言ってた」と返され、言葉に詰まった。

あとは退団だけが君の仕事だ

その麻実がトップ男役に就いたころからだっただろうか。トップ男役就任が発表された時点で、私は「おめでとう」ではなく、「あとは退団だけが君の仕事だ」と声をかけるようになった。

トップ男役は毎日、スポットライトを浴びて、3000人の注視に耐える体力がいる。

振付担当の日本舞踊家が「あの光量や熱の中、よく踊れますね」と言うほどだから、消耗は想像以上だ。

トップ男役には舞台で一層成長した姿を見せ、いい形で退いてほしい。だから就任時に「退団」の言葉を持ち出す。

終わり。

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